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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1328~1330

訓読

1328
膝(ひざ)に伏(ふ)す玉の小琴(をごと)の事(こと)なくはいたくここだく我(あ)れ恋ひめやも
1329
陸奥(みちのく)の安達太良真弓(あだたらまゆみ)弦(つら)着(は)けて引かばか人の我(わ)を言(こと)なさむ
1330
南淵(みなぶち)の細川山(ほそかはやま)に立つ檀(まゆみ)弓束(ゆづか)巻くまで人に知らえじ

意味

〈1328〉
 膝の上に載せて弾く小さな美しい琴が、もし無事であったなら、私はこんなにも激しく恋しい思いなどしないのに。
〈1329〉
 陸奥の安達太良産の弓に弓弦(ゆづる)を張って引くようなことをすれば、人は私のことをあれこれ噂するだろうか。
〈1330〉
 南淵の細川山に立っている檀の木よ、弓に仕上げて弓束を巻くまでは、人に知られないようにしよう。

鑑賞

 作者未詳歌3首。1328は「日本琴(やまとこと)に寄する」歌。日本古来の倭琴(やまとごと)には、小型の板作りの琴と大型の檜作りの琴があり、ここは小型のもの。「玉の小琴」の「玉の」は美称で、膝に乗るほどの小さな琴(小琴)は、当時の貴族にとって非常に親密で、優雅な愛玩品でした。それをここでは「愛する人」の象徴として重ねています。「事なくは」は、変事がなかったならば、無事だったら。「いたくここだく」は、副詞を2つ重ねて強調しており、はなはだ多く、の意。「恋ひめやも」の「や」は反語で、恋いようか恋いはしない。女に変事があったために逢うことができず、その女を強く恋い焦がれる気持ちを歌っています。

 
窪田空穂は、「事」は「妻の死」を意味するとして、「日本琴を膝に載せて弾いていると、それが生前の妻を連想させるものとなり、妻を思うとともに甚しい思慕の情が起こってきて、その情の強さに我と訝かりを感じたのである。そしてまたそれに対しても反省も起こってきて、妻が亡き者とならなかったらこのように強い思慕は起こらなかったろうと思ったのである」と述べ、さらに「歌としては、心は極度に枯れきっていて、老体の感情であるが、形は反対に甚しく自由で、洗練を極めているものである。詠風からみて大伴旅人を思わせずにはおかないものである。編者がわざと作者名を秘したのではないかとも思われる」とも述べています。

 1329・1330は「弓に寄する」歌。
1329の「安達太良真弓」は、福島県二本松市の西部にある安達太良山(標高1700m)で産した檀の木で作った弓。ここは相手の女の譬え。「弦着けて」は、弓に弦を張って。平常は弦を張らず、使用する際に張るので、このように言っています。「引かばか」の「引く」は、弦を引くのと、女に言い寄る、誘う意の引くとを掛けています。「か」は疑問・不定の係助詞で、もし引いたならば。「人の我を言なさむ」の「人」は周囲の人々、「言なさむ」の「む」は結びの連体形で、言いはやすだろう、噂をするだろう。上に「か」が介在することで、〜するだろうか(いや、どうなのだろうか)という不安な揺れが加わります。

 
1330の「南淵の細川山」は、奈良県明日香村稲淵の細川に臨む山。「檀」は、山野に自生するニシキギ科の落葉小木。上代にはこの木で弓を作ったので、マユミの名があります。ここは目をつけた娘の譬え。「弓束」は、弓の中央の、弓を引く時に握る部分。「弓束巻くまで」は、弓束に革や桜の皮を巻きつけて弓を仕上げるまで、の意で、娘が成人して我がものになるまでの譬喩。「知らえじ」は、知られまい。「じ」は打消の推量、または打消の意志を表す助動詞で、ここでは知られないだろうという予測よりも、意中の女と結婚するまでは絶対に知られないようにするぞ、という強い自制心と決意が込められています。
 


檀(まゆみ)

 落葉小木の檀(真弓とも)は、日本と中国の野山に自生し、名前にあるように古くは弓の材料として使われ、和紙の原料とされていたこともあります。晩春から初夏にかけて咲く花は、薄い緑色で目立たず、新しい梢の根本近くに4弁の小花がいくつもつきます。長楕円形の葉は対生してつき、秋には紅色、薄紅色に紅葉します。薄紅色の果実は、熟すと裂けて赤い種子を露出します。

 『万葉集』には12首詠まれており、弓は弦を引くことから、その多くは「弾く」「張る」の枕詞として用いられています。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。