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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1331~1335

訓読

1331
磐畳(いはたたみ)恐(かしこ)き山と知りつつも吾(わ)れは恋ふるか同等(なみ)ならなくに
1332
岩が根の凝(こご)しき山に入り初(そ)めて山なつかしみ出(い)でかてぬかも
1333
佐保山(さほやま)を凡(おほ)に見しかど今見れば山なつかしも風吹くなゆめ
1334
奥山の岩に苔生(こけむ)し畏(かしこ)けど思ふ心をいかにかもせむ
1335
思ひあまりいたもすべ無(な)み玉たすき畝傍(うねび)の山に我れ標(しめ)結(ゆ)ひつ

意味

〈1331〉
 岩がごつごつと露出した恐ろしい山だと知ってはいても、私は恋い焦がれている、たやすく登れる山ではないのに。
〈1332〉
 岩が厳しく凝り固まっている山に足を踏み入れてみると、その山に心ひかれてならず、出るに出られない気持ちだ。
〈1333〉
 これまでは佐保山を大して気にも留めずにいたが、あらためて見ると親しみやすくて心惹かれる山だ。風よ吹かないでくれ、決して。
〈1334〉
 奥山の岩は苔が生えていて恐ろしいけれど、そんな奥山を思う私の心をどうしたらいいのだろう。
〈1335〉
 恋しさに堪えかね、あまりのやるせなさに、神の領せられる畝傍山に標を張ってしまった。

鑑賞

 作者未詳の「山に寄せる」歌5首。1331の「磐畳」は、岩がごつごつと露出した恐ろしい山。普通名詞として解釈されますが、『備中誌』には、岡山県総社市秦の石畳神社にまつわる歌であると伝えられています。ここは高貴な(または神聖な)相手の譬え。「同等ならなくに」の「同等」は「並ぶ」の名詞形で、同等、同列の意。「ならなくに」は、ならぬことなのに。自分の登る力に見合った山ではないのに、の意ですが、自分と同じ程度の身分の相手ではないのに、の意を寓しています。身の程知らずの恋の悩みを訴えており、男の歌とも女の歌とも取れます。

 
1332の「岩が根の凝しき山」の「岩が根」は、岩。「根」は、大地にどっしりと固定し根を張っている物につける接尾語。「凝しき」は、凝り固まっている。前の歌と同様に、身分違いの高貴な相手の譬え。「山なつかしみ」は、山に心がひきつけられて。「かてぬ」の「かて」は可能、「ぬ」は打消で、できない。「かも」は、詠嘆。その高貴な相手と関係ができてからは、相手がよくてならず、関係を絶ち難いと言っています。こちらも男の歌とも女の歌とも取れますが、「入り初めて」という行動は男の立場を示しているようではあります。いずれの歌も、身分違いの相手との恋路の困難さを背景にしています。

 
1333の「佐保山」は、奈良市の北の丘陵地。ここは、見馴れてきた女、または幼馴染の女に喩えており、固有名詞になっているのは、女がそこに住んでいるためかもしれません。「凡に見しかど」は、おおよそに見ていたけれども、平凡だと思っていたけれども。「今見れば山なつかし」は、今見ると心惹かれる。「なつかし」は、現代語の「懐かしい」とは少し異なり、離れがたく、心が惹きつけられる、ずっと見ていたいという、現在進行形の強い愛着を指します。「風吹くなゆめ」の「ゆめ」は、強い禁止の副詞。私が相手の女に近づくのを邪魔するな、の意の譬喩になっており、また、あまりにも山が美しく、そして作者の幸せが壊れやすく繊細なものであることを逆説的に示しています。

 
1334の「奥山の岩に苔生し」の「奥山」は、人が容易に立ち入れない神聖な場所や、長い年月を経て動じないものの象徴。「苔生し」は、長い時間の経過を感じさせ、そこに宿る威厳や神秘性を強調します。これらによって、相手が自分にとって心理的・社会的に非常に遠い、尊い存在であることを視覚的に示しています。そうした奥山の岩に苔が生えるといっそう神秘さが増して恐ろしく感じられるので、「畏けど」と言っています。上2句を「畏けど」を導く序詞とする説がありますが、ここは譬喩と見ています。「思ふ心」は、奥山の岩を思う心、そこへ行きたいと思う心。「いかにかもせむ」の「か」は疑問の係助詞で、結びが「せむ」の「む」で推量の助動詞「む」の連体形。どうしたらいいのだろうか(いやどうしようもない)という、出口のない絶望感と自問自答を強調しています。。

 
1335の「思ひあまり」は、恋しい思いが心に余って。「いたも」は、甚だしくも。「すべ無み」は、方法が無くて。「玉たすき」の「玉」は、美称。たすきを項(うなじ)にかけたことから、同音の「うね」にかかる枕詞。「畝傍の山」は、奈良県橿原市にあり、大和三山の一つである畝傍山(標高199m)。「標結ひつ」の「標」は、占有のしるしで、それを結びつけるのは、世間に示すこと。自分の恋人であることを公にしたことの譬喩になっています。畝傍山は長く裾野を引いた引いた姿が優雅であり、作者は、神聖なこの山を人妻か高貴な女性に譬え、こらえきれなくてその女と関係を結んだと言っています。
 


なつかし(懐かし)

 目前にある対象に惹きつけられ、強く親和したくなる感情をいう語。慕わしい、離れがたいの意。対象を讃美する気持ちが込められる。動詞「懐(なつ)く」の形容詞化した語とされる。「懐く」は、馴れ親しむ、離れがたく親しませる、手なずけるなどの意を表す語。

 ナツカシは万葉後期(平城京遷都以降)の歌だけに見られ、山・野・里など自然の景や、花や鳥など自然の景物が対象とされることが多い。それは、平城京という都市の成立によって、都市生活の対極にある自然や季節に対する人々の意識が高まったことと関係するらしい。都の人々にとって、自然に馴れ親しむ行為は風流のわざであった。ナツカシは、自然への愛着を表す風流な言葉として歌に用いられるようになったと考えられる。

~『万葉語誌』から引用

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標(しめ)

 シメは、境界を区切る印(しるし)や占有の標識を示す語。「標縄(しめなは)」もこれに含まれる。動詞形がシムで、占有の標識を付し、我が物として確保する意を表す。具体的には、草や縄を結んだり杭状の物を刺したりして自分の占有であることを標示し、他人の立ち入りを禁じることをいう。『万葉集』では「標」「印」「縄」などの字があてられる。

 シメには様々な形状や使用法があったようだ。それは、「標結ふ」「標延ふ」「標刺す」「標立つ」などと表現することから分かる。「標結ふ」は草を結んだり標縄のような縄状の物を張り巡らすことを表し、「標延ふ」は縄状の物を長々と巡らすことを表すと推測できる。また、「標刺す」「標立つ」は杭状の物を地面に挿し立てることをいうのだろう。このうち、最も多いのが「標結ふ」の例である。「標結ふ」のユフは、呪力の発動する場を結構するのが原義の語とされる。

~『万葉語誌』から引用

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。