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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1347~1352

訓読

1347
君に似(に)る草と見しより我(わ)が標(し)めし野山の浅茅(あさぢ)人な刈りそね
1348
三島江(みしまえ)の玉江(たまえ)の薦(こも)を標(し)めしより己(おの)がとぞ思ふ未(いま)だ刈らねど
1349
かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野(おひあらきの)の小竹(しの)にあらなくに
1350
近江のや八橋(やばせ)の小竹(しの)を矢はがずてまことありえむや恋(こほ)しきものを
1351
月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露に濡れての後(のち)はうつろひぬとも
1352
我が心ゆたにたゆたに浮蓴(うきぬなは)辺(へ)にも沖にも寄りかつましじ

意味

〈1347〉
 あなたに似ている草と知ってから、私が標縄を張った野山のあの浅茅を、どうか誰も刈り取らないで下さい。
〈1348〉
 三島江の薦にしるしをしてからは、私のものだと思っている。まだ刈り取ってはいないけれど。
〈1349〉
 私は、雪の降る大荒木野の篠竹(しのだけ)ではないのに、恋を遂げずにこのまま朽ち果てるのは残念だ。
〈1350〉
 近江のあの八橋の篠竹を刈り取って矢にしないなどということがあるものか、これほど恋しくてならないのに。
〈1351〉
 露草で着物を染めることにしましょう。朝露に濡れたあとは色があせてしまうだろうけれど。
〈1352〉
 私の心はゆらゆらと揺れ動いて、浮きぬなわのように、岸にも沖にも寄ってしまえそうもありません。

鑑賞

 作者未詳の「草に寄する」歌6首。1347の「君に似る草」の「君」は、ここは女に対しての敬称。第4句の「浅茅」を君に見立てての表現。なぜ浅茅が君に似ていると思ったのかについて、浅茅は細く、しなやかで、風にそよぐ姿が繊細です。その清らかな、あるいは少し頼りなげで守ってあげたくなるような雰囲気を、愛する女性に重ねたと見られます。「我が標めし」は、自分の物と決めたことの譬え。「浅茅」は、背丈の低いチガヤ。日当たりのよい場所に群生する草で、新芽に糖分が豊富なところから食用にされていました。「刈りそね」の「な~そ」は、禁止。「ね」は、念押しの終助詞。あの人と逢引しようと標を結った野の草を、人に刈られまいと願っている歌、あるいは、男がひそかに思う女を他の男にとられまいとする心を詠んだ歌とされます。

 
1348の「三島江」は、摂津国三島郡、淀川下流の入江。「三島江の玉江の薦」は、若い女の譬え。「玉江」の「玉」は美称で、「玉」を冠することで、そこに生える薦が非常に価値のある、美しい女性であることを暗示しています。「薦」(マコモ)は、全国いたるところで見られるイネ科の多年草で、夏に刈り取って筵(むしろ)の材料にしました。「標しより」は、標示した時から。「己がとぞ思ふ」の「己がと」は、自分のものと。「ぞ」は強調の係助詞で、「思ふ」が結びの連体形。「未だ刈らねど」は、まだ刈り取らないけれども。「刈る」は、妻にする喩え。男が女に対し、自分の相手として世間に公にした以上は、まだ共寝はしていなくとも、二人は夫婦になったのと同じだと思っている、と告げた歌です。

 
1349の「かくしてや」は、こうして、このようにあって。「や」は、詠嘆。「み雪」の「み」は、美称。「大荒木野」は、地名とすれば、奈良県五條市今井の荒木神社辺りにあった野かといいます。「大荒木」は「大殯(おほあらき)」だとして、天皇や皇族の薨去の際に営まれた殯宮の野のことかもしれません。「小竹」は、群生する細い竹。「小竹にあらなくに」は、小竹ではないことであるのに。つまり、刈り取られずに立ち枯れる小竹ではないのに。すでに老齢の近い女の、未婚のまま年老いていく女にはなりたくないとう嘆きの歌とされます。

 
1350の「近江のや」の「や」は、感動の間投助詞。「八橋」は、滋賀県草津市矢橋町あたりとされています。「矢はがずて」は、その小竹を刈り取って矢に作らないで。「矢はぐ」は、矢竹に矢じりや羽をつけて矢にすること。「信あり得むや」の「や」は反語で、本当にそれでいられようか、いられない。好きな女性のことを小竹にたとえていて、結婚せずにはいられない気持ちを述べた歌です。

 
1351の「月草」は、露草(つゆくさ)の古名。昔はこの草で布を染めましたが、すぐに色あせてしまうため、移ろいやすく、はかない恋心の譬えに使われます。プレイボーイに惚れてしまい、悩みは尽きない娘が、それでもいい、私はあの人なしではいられないと、結婚を決意した歌です。「月草に衣は摺らむ」は、男の求婚に応ずることの喩え。「朝露に濡れての後は」は、結婚して後のことの喩え。「うつろふ」は、色が褪せる。移り気の喩え。

 
1352の「ゆた」は、ゆったりゆらゆらと揺れ漂うさま。「たゆたに」の「た」は接頭語で「ゆたに」を重ねて強めた表現。「浮き蓴」は、池や沼に生えるスイレン科の多年草のジュンサイのことで、茎や葉はぬめりがあり、その若芽を摘んで食用にしました。『万葉集』にジュンサイが歌われているのは、この1首のみ。「辺」は、岸。「寄りかつましじ」の「かつ」は可能、「ましじ」は打消しの推量。男から求婚され、揺れる恋心に悩む女性の歌でしょうか、あるいは、男女共用の民衆歌として広く親しまれたとも伝わります。
 


標(しめ)

 シメは、境界を区切る印(しるし)や占有の標識を示す語。「標縄(しめなは)」もこれに含まれる。動詞形がシムで、占有の標識を付し、我が物として確保する意を表す。具体的には、草や縄を結んだり杭状の物を刺したりして自分の占有であることを標示し、他人の立ち入りを禁じることをいう。『万葉集』では「標」「印」「縄」などの字があてられる。

 シメには様々な形状や使用法があったようだ。それは、「標結ふ」「標延ふ」「標刺す」「標立つ」などと表現することから分かる。「標結ふ」は草を結んだり標縄のような縄状の物を張り巡らすことを表し、「標延ふ」は縄状の物を長々と巡らすことを表すと推測できる。また、「標刺す」「標立つ」は杭状の物を地面に挿し立てることをいうのだろう。このうち、最も多いのが「標結ふ」の例である。「標結ふ」のユフは、呪力の発動する場を結構するのが原義の語とされる。

~『万葉語誌』から引用

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