| 訓読 |
1368
岩倉(いはくら)の小野(をの)ゆ秋津(あきづ)に立ち渡る雲にしもあれや時をし待たむ
1369
天雲(あまくも)に近く光りて鳴る神の見れば恐(かしこ)し見ねば悲しも
1370
はなはだも降らぬ雨(あめ)故(ゆゑ)にはたつみいたくな行きそ人の知るべく
1371
ひさかたの雨には着ぬを怪しくも我(わ)が衣手(ころもで)は干(ふ)る時なきか
1372
み空行く月読壮士(つくよみをとこ)夕(ゆふ)去らず目には見れども寄る縁(よし)もなし
| 意味 |
〈1368〉
岩倉の小野から秋津にかけて渡って行く雲でもないので、私はただ時が来るのを待とうとするのか。
〈1369〉
遙か遠い天雲の近くで光って鳴る雷は、見るからに恐ろしいけれど、見なければ見ないで悲しい。
〈1370〉
そんなに激しく降る雨ではないのに、あふれ出た雨水よ、そんなにあわてて流れないでほしい、人が気づいてしまうから。
〈1371〉
雨の降る時に着ることはないのに、不思議にも、私の衣の袖は濡れそぼって乾くことがない。
〈1372〉
光り輝くお月様のお姿は毎夕拝見していますが、一向に近寄る手立てがありません。
| 鑑賞 |
作者未詳歌5首。1368は「雲に寄する」歌。「岩倉の小野ゆ秋津に」の「岩倉」は、和歌山県田辺市秋津町または吉野山中の吉野離宮付近の地とされます。「小野ゆ」の「小」は美称で、その地の野、「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「秋津」は、女の住地。「立ち渡る」は、空一面に広がって動いていく様子。「雲にしもあれや」の「しも」は強調、「や」は反語で、雲でもないのに。「時をし待たむ」は、(良い)時期を待とう(いや、待っていられない)。自由に往き来できる雲を羨み、もっと早く積極的に逢う機会を作ってほしいとねだっている恋人の歌です。窪田空穂は、「単に雲の自由な状態だけではなく、雲の『時』の自由をももっているかのようにみえるのを羨んだ心で、そこに新意がある」と評しています。
1369は「雷に寄する」歌。「天雲に近く光りて」は、空にある雲に近く。原文「天雲近光而」で、「天雲の・・・」と訓んで、「天雲のように」と解し、第3句までを「見れば恐し」の序詞とする見方もあります。「鳴る神」は「雷」のことで、古人は雷を神の鳴動(神鳴り)と考え、超自然的な力を持つ存在として畏怖していました。ここは身分の高い男の譬え。「見れば恐し」は、その男性に逢うと恐れ多い、の意を寓しています。近くにいると緊張して何もできなくなってしまうけれど、まったく姿が見られないのは寂しいと、恋のジレンマを歌っている女の歌です。
1370・1371は「雨に寄する」歌。1370の「はなはだも降らぬ雨故」は、それほどひどくは降っていない雨なのに。二人がそうたびたび逢っているわけでもないのに、の意の譬喩。「にはたつみ」は「には(庭)」+「たつ(立つ)」+「み(水)」という構成で、庭にたまった水、夕立ちなど急な雨であふれ流れる水。ここは男の譬喩。「いたくな行きそ」の「いたく」は、ひどく。「な~そ」は懇願的な禁止で、ひどく流れて行かないで、そんなに激しく行かないで(歩かないで)の意。「人の知るべく」は、人が知るだろうに。全部が譬喩となっており、男と関係を結んでまだ幾程もない女が、人に見咎められたり噂されるようなことはしないでほしい、つまり、おおっぴらに帰らないでほしいと言っている歌です。
1371の「ひさかたの」は、天の枕詞が転じて「雨」の枕詞となったもの。集中50例ある枕詞ですが、語義・掛かり方とも未詳。「雨には着ぬを」は、雨の中ではこの衣は着ないのに、雨に濡れたわけではないのに。「あやしくも」は、不思議にも、どうしてか。「衣手」は、袖。「干る時なきか」の「か」は、詠嘆の助詞。男の疎遠を恨み、「雨」を涙の比喩として、袖が乾くことがないと言っています。「悲しくて泣いています」と直接言うのではなく、「雨も降っていないのに、なぜか袖が乾かない」と独り言をつぶやくことで、抑えきれない悲しみの深さをより強調しています。
1372は「月に寄する」歌。「み空」の「み」は接頭語で、空の美称。「月読壮士」は、月を擬人化した表現。「壮士」は、若々しい男の称で、月が日々に新しくなり若く感じられるところからきています。ここでは身分の高い男の喩え。「夕去らず」は、夕方になるといつも。「目には見れども」は、(姿は)はっきりと見えているけれど。「寄る」は、近寄る、関係を持つ。「縁もなし」は、手段がない。身を任せたいと思っているものの、身分の隔たりから近寄ることのできない男性への憧れを歌っています。「目には見れども」という言葉には、作者の切ない心理が投影されています。姿が見えることは本来喜びであるはずですが、相手が「天空の住人(高貴すぎる人)」である場合、見えることはかえって手の届かなさを強調する苦しみへと変わります。

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