| 訓読 |
1373
春日山(かすがやま)山高からし石(いわ)の上(うへ)の菅(すが)の根見むに月待ち難(かた)し
1374
闇(やみ)の夜(よ)は苦しきものを何時(いつ)しかと我(あ)が待つ月も早(はや)も照らぬか
1375
朝霜(あさしも)の消(け)やすき命(いのち)誰(た)がために千歳(ちとせ)もがもと我(わ)が思はなくに
1376
大和(やまと)の宇陀(うだ)の真埴(まはに)のさ丹(に)付かばそこもか人の我(わ)を言(こと)なさむ
1377
木綿(ゆふ)懸(か)けて祭る三諸(みもろ)の神(かむ)さびて斎(いは)ふにはあらず人目(ひとめ)多みこそ
| 意味 |
〈1373〉
春日山は思いのほか高いらしい。岩の上に生えている菅の根を見たいのに、月はいくら待ってものぼって来ない。
〈1374〉
闇夜は辛くてならない。今か今かと待っている月が、早く私を照らしてくれないだろうか。
〈1375〉
朝霜のように消えやすいはかない命。そんな命であるのに、ほかの誰のためにこの命が千年も続いてほしいと思うでしょうか。
〈1376〉
大和の宇陀の赤土の色が衣についたら、そんなことでも人々は私のことをとやかく噂するだろうか。
〈1377〉
木綿を懸けて祭る神の社で身を清め、慎んでいるわけではありません。人目が多いからです。
| 鑑賞 |
作者未詳歌5首。1373~1375は「月に寄する」歌。1373の「春日山」は、奈良市東部の、今の春日山・御蓋山・若草山などの総称。「高からし」は「高くあるらし」の転。山が高いらしい(からだろう)。月は東から上るため、東にある山が高いと月が顔を出すのが遅くなります。「石の上の菅の根」は、石の上に生えている菅の根で、ここは女の比喩。神事にも用いられたことから、石の上の清浄な場所をも意味するか。また「菅の根」が恋歌に多く歌われるのは、菅を引き抜いてする呪術があったのではないかとも言われます。「見むに」は、逢いたいのに。「月待ち難し」は、月の光が照らしてくれるのを待ちきれない。障害が多くて愛する女になかなか逢えないことを言っています。
1374の「闇の夜は苦しきものを」は、闇夜は(物理的にも精神的にも)辛いものなのに。「ものを」は逆接的な余情を含んだ接続助詞。「何時しかと」は、いつになったら出るのかと、待ち遠しく思う様子。「我が待つ月」は、単に天体の月を指すのでなく、自分を照らしてくれる存在、すなわち恋人の訪れを象徴しています。「早も照らぬか」の「も~ぬか」は願望で、早く照って欲しい。単なる「月待ち」の歌としてでなく、孤独な魂の叫びとして読むことのできる歌です。
1375の「朝霜の」は「消」の比喩的枕詞。朝日が昇ればすぐに消えてしまう霜を、人の命の儚さに例えています。「誰がために」は、誰のために。ここでは「愛するあなたのために」という反語的な強調です。「千歳もがも」の「もがも」は願望で、千年も生きていたいものだ。「思はなくに」は、思わないのに。「なくに」は、打消の助動詞「ず」の未然形「な」+接尾語「く」+助詞「に」で、①ないことなのに(逆接)、②ないことだなあ(詠嘆)の、主に2つの意味で用いられます。なお、左注に、「右の一首は譬喩歌の類にあらず。ただし、闇の夜の歌人の所以(おもい)の故に、ともにこの歌を作る。よりて、この歌をもちて、この次に載す」とあります。前の歌の作者が、同じ相手に思いの深さを訴えた歌です。
1376は「埴(はに)に寄する」歌。「埴」は、塗料・顔料・染料または土器や壁の材料などに用いた赤い粘土。「宇陀」は、奈良県宇陀市。古くから良質な粘土や鉱物が取れる地として知られていました。「真埴」の「真」は美称。「さ丹」の「さ」は接頭語で、赤土から採った朱色。「さ丹」が付くというのは、単に服が汚れることではなく、『万葉集』において「色がつく」ことは、しばしば深い仲になる、情事の証拠が残ることの比喩として使われます。「そこもか」の「そこも」は、その点で、そのことで。「か」は、疑問の係助詞。「言なさむ」は「か」の結びで連体形。噂するだろうか、言い騒ぐだろうか。二人が共寝をしたら、世間に噂が立つのではないかと心配する若い男または女の歌です。
1377は「神に寄する」歌。1377の「木綿」は、楮(こうぞ)の木をはいで、その繊維を晒したもの。白く美しい幣帛として神事に用いました。「三諸」は、神をまつる神社。「神さびて」は、神々しく、神らしく。「斎ふ」は、忌みつつしんで穢れを除くこと。神事のための潔斎を行っている間は、男女とも異性を近づけないこととされていました。「人目多みこそ」は、人目が多いからこそ。「こそ」で結んでいるのは、逆接の前提条件だけを示して、結論を相手に補わせる句法。お高くとまって逢おうとしないのかと責めてきた男に、そうではなくて、人目が多いから逢えないだけなのに、と女が返した歌です。

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