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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1378~1382

訓読

1378
木綿(ゆふ)懸(か)けて斎(いは)ふこの神社(もり)越えぬべく思ほゆるかも恋の繁(しげ)きに
1379
絶えず行く明日香(あすか)の川の淀(よど)めらば故(ゆゑ)しもある如(ごと)人の見まくに
1380
明日香川(あすかがは)瀬々(せぜ)に玉藻(たまも)は生(お)ひたれどしがらみあれば靡(なび)きあはなくに
1381
広瀬川(ひろせがは)袖(そで)漬(つ)くばかり浅きをや心深めて我(わ)が思へるらむ
1382
泊瀬川(はつせがは)流るる水沫(みなわ)の絶えばこそ我(あ)が思(おも)ふ心(こころ)遂(と)げじと思はめ

意味

〈1378〉
 木綿を懸けて清め祭っている神の社の、神聖な垣根さえ越えてしまいそうに思われる。あまりの恋の激しさに。
〈1379〉
 絶えず流れ続ける明日香の川がもし淀むことがあったら、何かあったのではないかと世間の人は見るだろうに。
〈1380〉
 明日香川の瀬ごとに玉藻は生えているけれど、しがらみで隔てられているので、互いに靡き合うことができない。
〈1381〉
 広瀬川を歩いて渡ると、衣の袖がひたるほどに浅い。そのように浅いあの人の心なのに、自分の心の底まで、私はなぜこんなに思いつめているのだろう。
〈1382〉
 泊瀬川を流れ行く水の沫が絶えるようなことがあれば、私の恋が遂げられなくても仕方がないと諦めもしようが。

鑑賞

 作者未詳歌5首。1378は「神に寄する」歌。「木綿」は、楮(こうぞ)などの皮の繊維から作った白い布。神事において、聖域を示すために木に掛けたり、注連縄(しめなわ)に下げたりするものです。「斎ふ」は、神を祭り、穢れを避けて清めること。「神社(もり)」は、森林を神坐とした所の称。当時は現在のような社殿よりも、木々がうっそうと茂る「鎮守の森」そのものが神の宿る場所として崇められていました。「越えぬべく」は、越えてしまいそうだ、越えてしまうに違いない。上4句は、逢うことが叶わず、恋の激情のあまり、前後の見境がなくなってしまうことの譬え。男の歌で、上の歌との問答とする見方もあるようです。「この神社」とあるところから、神宴で歌われたものかもしれません。

 1379~1382は「河に寄する」歌。
1379の「絶えず行く」は、常に流れて止まない様子。「明日香の川」は、明日香地方を流れ、大和川に合流する川。『万葉集』では、変化の激しさや永遠の流れの象徴として頻繁に登場します。「淀めらば」は、もし淀んだならば。いつも来るあなたが来なくなったら、または、いつも逢いに行く自分が行かなかったら、の意の譬え。「故しもある如」の「し」は強意の副助詞で、何かの理由でもあるかのように。「人の見まくに」の「見まく」は「見る」のク語法で名詞形で、世間の人が見るだろうから、見るようなことになると困る。男の歌とも女の歌とも取れ、もし二人の間にいつもと違うことが生じたら、と人の目を気にする歌とされます。

 
1380の「瀬々」は、川のあちこちにある浅瀬。「玉藻」の「玉」は美称、水中に生える美しい藻のこと。ここは、思い合う男女、自分たちの譬え。「しがらみ」は、川の流れをせき止めたり、岸が削れるのを防ぐために、杭を打って竹や枝を編み渡した柵のこと。ここでは二人の仲を邪魔する障害の比喩です。これは、現代でも使われる「世間のしがらみ」という言葉の意味に近いニュアンスで、家族の反対、身分の違い、あるいは既に決まった婚約者など、個人の感情ではどうにもできない世俗の制度や義理が、二人を分かつ柵として表現されています。「あはなく」は「あはぬ」のク語法で名詞形。合わないこと。「に」は、詠嘆。全部が譬喩になっており、相思相愛の仲の二人であるのに、妨害する人がいて思うように逢えないことを嘆いている歌です。

 
1381の「広瀬川」は、葛城川、曾我川、飛鳥川、鳥見川が寄り集まった川で、その流域は大和国中でもっとも低い低地。古くは徒歩で渡ることのできる浅い川でしたが、だんだん大川となり現在の大和川となって流れています。ここは、男の喩え。「袖漬くばかり浅きをや」の「漬く」は、水に浸る。「浅きをや」の「や」は、疑問の係助詞。袖が水に浸かって濡れる程度に浅いというのに、の意で、薄情な男なのにそんな男を、の意を寓しています。「心深めて」は、心の底から。「思へるらむ」は、思っているのだろう。「らむ」は連体形で「や」の結び。自分自身の心の制御不能さを客観的に問いかける形です。

 
1382の「泊瀬川」は、奈良県桜井市初瀬の峡谷に発し、三輪山の南を通り大和川に合流する川。「水沫」は、水面を流れる水の泡。「水の泡(あわ)」が縮まった言葉で、和歌では、儚いもの、すぐに消えるものの代名詞です。「絶えばこそ」の「こそ」は強い仮定と限定を表す係助詞で、もし絶えたなら(その時こそ)。「遂げじの「じ」は打消推量・打消意志の助動詞で、遂げまい、(思いが)叶わないまま終わるだろう。「思はめ」は、思うだろう。上の「こそ」を受けて已然形の係り結びになっています。川を媒体として、相手への尽きない思いを訴えている歌で、男の歌とも女の歌とも取れます。
 


国立飛鳥資料館

同館ホームページから引用)

 飛鳥資料館は、日本の心のふるさと「飛鳥」の歴史と文化を紹介する資料館です。
文化財の調査・研究を専門におこなう奈良文化財研究所の展示施設として、昭和50(1975)年に開設されました。

 飛鳥は、古代国家が誕生した場所として広く知られています。592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に持統天皇が藤原京へ遷都するまでの約100年間、飛鳥には天皇の宮殿が継続的に営まれ、政治と文化の中心として栄えました。壮麗な宮殿、石組みの苑池や噴水施設、時を告げる水時計(漏刻)、猿石や亀石などの石造物が造られるとともに、この時代に本格的に広まった仏教寺院の瓦屋根が新しい景観を形づくりました。また、飛鳥時代は石舞台古墳などの古墳が造られていた時代ですが、キトラ古墳・高松塚古墳には大陸風の極彩色壁画が描かれました。東アジアの国際関係のなかで人や文物の盛んな交流があり、さまざまな文化や技術、制度などが飛鳥にもたらされたのです。

 飛鳥を訪れると、なつかしい田園風景の中に、はるか古代の遺跡があちこちに点在しています。目に見えるものだけでなく、飛鳥の地面の下には『日本書紀』や『万葉集』の風景が埋もれています。発掘調査でみつかった遺構や遺物は、埋もれていた歴史を雄弁に語る証人であり、時には謎を問いかけてもきます。

 飛鳥資料館では飛鳥の歴史と文化をわかりやすく紹介しています。皆さんもぜひ飛鳥を訪れ、日本の国や文化がどのように形づくられたのか、古代の歴史や万葉の世界を体感されてみてはいかがでしょうか。
 皆様のご来館をお待ちいたしております。
 

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古典に親しむ

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