| 訓読 |
1388
石(いは)そそき岸(きし)の浦廻(うらみ)に寄する波(なみ)辺(へ)に来(き)寄らばか言(こと)の繁(しげ)けむ
1389
磯(いそ)の浦に来(き)寄る白波(しらなみ)かへりつつ過ぎかてなくは誰(た)れにたゆたへ
1390
近江(あふみ)の海(うみ)波(なみ)恐(かしこ)みと風守り年はや経(へ)なむ漕(こ)ぐとはなしに
1391
朝凪(あさなぎ)に来(き)寄る白波(しらなみ)見まく欲(ほ)り我(わ)れはすれども風こそ寄せね
1392
紫(むらさき)の名高(なたか)の浦の真砂土(まなごぢ)に袖(そで)のみ触れて寝(ね)ずかなりなむ
| 意味 |
〈1388〉
断崖の岩にぶつかっては入江に寄せてくる波、その波がさらにこの岸辺近くに寄ってきたなら、激しく噂が立つのだろうか。
〈1389〉
磯の海辺にうち寄せて何度もかえす白波が、こうして沖に帰れないでいるのは、その磯以外の誰のために思い悩んでいるからであろうか。
〈1390〉
琵琶湖の波が恐ろしいからと、風の様子を気にしているうちに、いたずらに一年が過ぎてしまうのだろうか、舟を漕ぎ出すこともないまま。
〈1391〉
朝なぎのころ寄せて来る白波を、眺めてみたいと私は思っているけれど、いっこうに風が波を寄せて来ない。
〈1392〉
名高の浦の細かな砂地には、袖が触れただけで、寝ることのないままになってしまうのか。
| 鑑賞 |
作者未詳歌5首。1388~1391は「海に寄する」歌。1388の「石そそき」は、波が岩に激しくぶつかって飛び散ること。「浦廻」は、岸が湾曲している所。「寄する波」は、男の喩え。「辺に来寄らばか」は、岸辺にまで寄ってきたならば。相手の男が私に近寄って来たなら、の喩え。「言の繁けむ」は、噂がうるさくなるだろう、口やかましく言われるだろう。「繁し」は、草木が茂るように、言葉が次から次へと溢れ出てくる様子を指します。世間の目を気にしている女の歌です。
1389の「磯の浦に来寄る白波」は、磯辺に寄せてくる白い波。「来寄る白波」は、男自身の譬えで、以下は女に対する口説き。「かへりつつ」は、何度も(沖へ)戻りながら。「過ぎかてなくは」の「〜かてぬ」は、〜しきれない、〜することが難しい、という意で、通り過ぎることができずにいるのは。男が女の家を立ち去ることができないのは、の意を寓しています。「誰れにたゆたへ」の「たゆたへ」は、思い悩む意の「たゆたふ」の已然形。「誰れ」という疑問の語と呼応して反語表現となります。誰に対して思い悩んでいようか。
1390の「近江の海」は、琵琶湖のこと。『万葉集』では海のように巨大な水域として描かれます。「波恐みと」は、波が恐ろしいからと。「み」は、〜なので、という理由を表します。「波」は、結婚の妨げの譬え。「風守り」は、「風待ち」と同じで、航海に適した穏やかな風になるのをじっと監視し、待つこと。「年はや経なむ」の「年」は一年、「む」は推量。「漕ぐとはなしに」は、実際に漕ぎ出すこともないまま。天候の様子をうかがって待っている舟を、これまで何もせずむなしく過ごした自分の行動に置き換え、反省の気持ちを詠んだ男の歌です。
1391の「朝凪」は、朝、海辺で風が止まり、波が穏やかになる状態。「来寄る白波」は、相手の男の喩え。「見まく欲り」は、見たいと思って。「我れはすれども」は、私は(そうしたいと)思うのだけれども。「風こそ寄せね」は「こそ」+打消の助動詞「ず」の已然形「ね」による係り結びで、風が(波を)寄せてくれない。(私の意思に反して)どうしても〜してくれない、という強調のニュアンスが含まれます。また、下に続く「どうしようもない」などの意のことばが省略されており、来ない男を待つ女のすべなさが歌われています。
1392は「浦の砂に寄する」歌。「紫の」は、高貴な色として名高い意で、地名「名高」にかかる枕詞。「名高の浦」は、現在の和歌山県海南市名高の入江。古くからの景勝地で、当時は深く陸地に入り込んでいたといいます。「真砂土」は、きめ細かく美しい砂のこと。「愛子(まなご:可愛い子)」を掛けており、恋の相手の女の譬え。「袖のみ触れて」は、砂に袖が触れること。比喩としては、相手とわずかに接触する、言葉を交わす程度の浅い関係を指します。「寝ずかなりなむ」は、共寝をしないまま終わってしまうのだろうか。「〜なりなむ」は、不本意な結末への不安や予感を表します。女が、男を近づけはするものの、共寝をしようとしないことを嘆く歌です。

序詞について
序詞(じょことば)は和歌の修辞法の一つで、表現効果を高めるために譬喩・掛詞・同音の語などを用いて、音やイメージの連想からある語を導くものです。枕詞と同じ働きをしますが、枕詞が1句以内のおおむね定型化した句であるのに対し、序詞は一回的なものであり、音数に制限がなく、2句以上3、4句に及び、導く語への続き方も自由です。以下に序詞の用例を列記します。青色の句が序詞で、赤色の語句がそれに導かれた語です。
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