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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1398~1402

訓読

1398
楽浪(ささなみ)の志賀津(しがつ)の浦の舟乗りに乗りにし心(こころ)常(つね)忘らえず
1399
百伝(ももづた)ふ八十(やそ)の島廻(しまみ)を漕(こ)ぐ舟に乗りにし心忘れかねつも
1400
島伝(しまづた)ふ足早(あばや)の小舟(をぶね)風守り年はや経(へ)なむ逢(あ)ふとはなしに
1401
水霧(みなぎ)らふ沖つ小島(こしま)に風をいたみ舟寄せかねつ心は思へど
1402
こと放(さ)けば沖ゆ放(さ)けなむ港(みなと)より辺著(へつ)かふ時に放(さ)くべきものか

意味

〈1398〉
 楽浪の志賀津の浦で舟に乗ったように、あの子が乗ってきた私の心は、いつ何時も忘れることはない。
〈1399〉
 多くの島々を巡って漕ぎ行く舟に乗るように、あの子が乗ってきた私の心は、忘れようにも忘れることができない。
〈1400〉
 島伝いに行く舟足の速い小舟、そんな舟であるのに、風向きをうかがっているうちに年をとってしまうのか、巡り逢うこともなく。
〈1401〉
 水煙でかすんでいる彼方の小島には、風があまりに激しいので近寄ろうにも近寄りかねている。心では思っているのだが。
〈1402〉
 同じ遠ざけるなら沖にいる時にしてほしかった。岸辺に着く頃になって遠ざけてよいものか。

鑑賞

 作者未詳の「舟に寄する歌」5首。1398の「楽浪」は、琵琶湖の西南岸一帯。「志賀津」は、志賀の港で、今の大津市。古くから交通の要所であり、多くの舟が行き交う活気ある場所でした。「舟乗りに」の「に」は、のごとく。男が女と結ばれたことの譬え。「乗りにし心」は、自分の心に乗り移ってしまった相手の心。深く相手を思うがゆえの表現。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「常忘らえず」は、いつの時も忘れられない。「らえ」は可能の助動詞、「ず」は打消。自分の意志ではどうにもならないほど、強く記憶に刻まれている状態を表します。かつて関係を持った女に対し、いつもお前を忘れられないでいると言い遣った男の歌です。

 
1399の「百伝ふ」は「八十」の枕詞。百まで続く八十の意でかかります。「八十」は、多くの意。「島廻」は、島の周り、島の周りを廻ること。上3句は「乗り」を導く序詞。「乗りにし心」は、上の歌と同じく、自分に乗ってしまった妹の心。「忘れかねつも」は、忘れられないことよ。「かぬ」は、できない意の補助動詞。「つ」は完了の助動詞。「も」は詠嘆の助詞。多くの島々を廻り、すなわち妻を求めての遍歴のなかで、結局はお前一人が忘れられないのだと、相手の女に述懐する男の歌、あるいは、老人の若い盛りのころを回想する歌か。この歌も、琵琶湖で歌われたものと見えます。

 
1400の「島伝ふ」は、島から島を伝う。「足速の小舟」は、速力の速い小舟。「風守り」は、風のようすを窺い時期を待って、の意。「年はや経なむ」の「なむ」は、強い確信や意志を含む助動詞。「逢ふとはなしに」は、結局逢うこともできないままで。男女どちらの歌とも取れます。男の歌だとすると、「小舟」は作者自身のはやる心の比喩であり、「自分は今すぐにでも飛んでいきたいが、世間の目や障害を気にしているうちに、いたずらに時間だけが過ぎていく」という、もどかしく切ない状況を歌ったもの。女の歌だとすると、「小舟」はふだんは素早く行動する男の喩えであり、いつもは敏捷に見えるのに、周囲の妨げを気にせずもっと積極的に出てほしいと、相手の男に対するじれったい気持ちを歌ったものと解することができます。

 
1401の「水霧らふ」は、水が霧となり続ける、水煙が立ち続けている意で、視界が真っ白に霞んでいる様子。「沖つ小島」は、沖合にある小さな島。「風をいたみ」は、「・・・を・・・み」のミ語法で、風が激しいので。「舟寄せかねつ」は、舟を岸に寄せることができない。「〜かねつ」は、〜しようとしてもできない、という不可能・困難を意味します。「心は思へど」は、心の中では(あなたを)強く思っているけれど。「小島」を女に、「舟」を男(自分)に譬え、女に逢わせまいとする親のことを歌っています。

 
1402の「こと放けば」の「こと」は、同じこと、同様の意。「放けば」は、遠ざけるならば、で、同じ(私を)遠ざけるならば、の意。「沖ゆ放けなむ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。ここは沖にいるうちにの意で、付き合って間もない時期の喩え。「放けなむ」は、遠ざけてほしい。「なむ」は、強い希望・意志。「辺著かふ時に」は、舟が岸に近づいている時に、の意で、いよいよ結婚するときになって、の喩え。「放くべきものか」の「か」は、反語。遠ざけてよいものか(いや、そんなはずはない、ひどすぎる)。結婚の直前になって破談を申し込まれて憤っている歌です。
 


作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。