本文へスキップ

巻第8(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第8-1419

訓読

神奈備(かむなび)の磐瀬(いはせ)の社(もり)の呼子鳥(よぶこどり)いたくな鳴きそ我(あ)が恋まさる

意味

神聖な磐瀬の社に鳴く呼子鳥よ、そんなに鳴かないでおくれ。私の恋しい心がつのるばかりだから。

鑑賞

 鏡王女(かがみのおほきみ)の歌。鏡王女は謎が多い女性で、額田王(ぬかだのおほきみ)の姉という説のほかに、最初は天智天皇の妃で、のちに藤原鎌足の妻になり不比等を生んだ女性であるとか、舒明天皇の皇女または皇孫だという説や、鏡王女という名の女性は2人いる説などがありますが、いずれも確証はありません。『万葉集』では鏡王女ですが、『日本書紀』では「鏡姫王」とあります。天武11年(683年)7月に没。天武紀には、病中に天武天皇の見舞いを受けたことが記されています。

 「神奈備」は神が鎮座する山や森のことで、万葉の人々にとって、山や森は神が天から降りたなう神聖な場所でした。明日香・三輪と並んで龍田の「神奈備」が有名ですが、ここでは龍田の神奈備をさします。「磐瀬の杜」は、奈良県生駒郡斑鳩町龍田の南方にあった森とされますが、比定地は諸説あり、よく分かっていません。「呼子鳥」はそういう名の鳥ではなく、あたかも人の魂に呼びかけるように鳴く鳥のことで、カッコウまたはホトトギスとされます。古来、愛する人を呼び寄せる、あるいは離れた人を思い起こさせる鳥として文学的に扱われます。「いたくな鳴きそ」の「いたく」は、甚だしく。「な鳴きそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「我が恋まさる」は、私の恋心が増してしまう。

 王女が歌った相手は、いったい誰だったのでしょうか。
天智天皇(中大兄皇子)か、藤原鎌足か、それとも、誰にも打ち明けていない秘めた思い人があり、その恋に苦しんでいたのでしょうか。神のいます静かな森に鳴く神秘的な鳥の声に耳を傾け、それに呼びかけるように、つのる人知れぬ恋の苦しさを詠っています。「カッコウ、カッコウ・・・」つまり、そんなに「かく恋ふ、かく恋ふ」と鳴かないでおくれ、と。

 この歌は、巻第8の冒頭「春の雑歌」の第2首目に載せられています。巻第8は「古今構造」といって、各部立の最初に「奈良朝以前に作られた古の秀歌」を置き、その後に近年(天平期)の歌を配しています。「春の雑歌」に選ばれたの古歌は、この歌を含めてわずかに2首。そして鏡王女の歌に先立つ1首目は、あの志貴皇子の「石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌え出づる春になりにけるかも」(巻第8-1418)であることから、いかに鏡王女の歌が高い評価を受けていたかが分かります。

 
斎藤茂吉はこの歌を評し、ごく単純な内容のうちに純粋な詠嘆の声を聞くことができ、王女は額田王の姉でもあったから、額田王の歌にも共通な言語に対する鋭敏さがうかがわれるが、額田王の歌よりもっと素直で才鋒の目立たぬところがある、と言っています。また、作家の田辺聖子は、「神秘的で美しい歌」であり、「恋をうたっていながら、凛乎(りんこ)たる気品にみちた一首」と評しています。
 


【PR】

斎藤茂吉について

 斎藤茂吉(1882年~1953年)は大正から昭和前期にかけて活躍した歌人(精神科医でもある)で、近代短歌を確立した人です。高校時代に正岡子規の歌集に接していたく感動、作歌を志し、大学生時代に伊藤佐千夫に弟子入りしました。一方、精神科医としても活躍し、ドイツ、オーストリア留学をはじめ、青山脳病院院長の職に励む傍らで、旺盛な創作活動を行いました。

 子規の没後に創刊された短歌雑誌『アララギ』の中心的な推進者となり、編集に尽くしました。また、茂吉の歌集『赤光』は、一躍彼の名を高らかしめました。その後、アララギ派は歌壇の中心的存在となり、『万葉集』の歌を手本として、写実的な歌風を進めました。1938年に刊行された彼の著作『万葉秀歌』上・下は、今もなお版を重ねる名著となっています。
 

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。