| 訓読 |
1420
沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何(なに)の花ぞも
1421
春山の咲きのをゐりに春菜(はるな)摘(つ)む妹(いも)が白紐(しらひも)見らくしよしも
1422
うち靡(なび)く春(はる)来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば
1423
去年(こぞ)の春いこじて植ゑし我(わ)がやどの若木(わかき)の梅は花咲きにけり
| 意味 |
〈1420〉
泡雪がはらはらと降ってきたかと見えるほどに、流れ散りつづけているのは何の花だろう。
〈1421〉
春の山の花が咲き乱れているあたりで菜を摘んでいる子、その娘のくっきりした白い紐を見るのはいいものだ。
〈1422〉
どうやら春がやってきたらしい。遠い山あいの木々の梢に次々と花が咲いていくのを見みると。
〈1423〉
去年の春、地面を掘り起こして移し植えた我が家の庭の若木の梅は、今やっと花を咲かせた。
| 鑑賞 |
1420は、駿河采女(するがのうねめ)の歌。「沫雪」は、はらはらと降る泡状の雪、泡のように消えやすい雪で、「淡雪」とは異なります。主として春の雪を言いますが、冬の雪にも言います。「はだれに」は、まだらに。融和密着しないでばらけているさまをいう擬態語。「流らへ」は、「流る」の継続。古くは、雨が降り、風の吹く状態にも言った表現です。白梅の花がさかんに散っているようすを見て、ふと何の花だろうと訝った気持ちをうたっています。梅の散り方としては誇張した表現になっていますが、窪田空穂は、「気分になし得ているので、わざとらしさや厭味のないものとなっている」と評しています。また、平安期にはこうした技法の歌が盛んに詠まれるわけですが、飛鳥時代の作であるこの歌にも、すでにその原型が見えているのが興味深いところです。
作者は駿河出身の采女とされますが、伝不詳。『万葉集』には2首の歌を残しています。采女というのは、天皇の食事に奉仕した女官のことで、郡の次官以上の者の子女・姉妹の中から容姿に優れた者が選ばれました。身分の高い女性ではなかったものの、天皇の寵愛を受ける可能性があったため、天皇以外は近づくことができず、臣下との結婚は固く禁じられていました。なお、『万葉集』で梅を詠み入れた歌は約120首あり、萩を詠んだ約140首に次いで第2位の数となっています。ただ、萩とは違い、梅は庭園に植えて愛でられた渡来の花樹であるため、限られた階層の人々の歌の対象として、片寄ったあり方で存在します。また、古今集以後の歌人に愛でられたような、その香を歌ったものは殆どありません。
1421・1422は、尾張連(おわりのむらじ)の歌。「尾張」は氏、「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。『万葉集』には短歌2首を残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。1421の「春山の咲きのをゐり」の「をゐり」は「ををり」とも。花が多く咲いて枝がたわむさま。咲いているのは桜とみられます。山の花が一斉に咲きにおうさまを『万葉集』では「山咲く」と表現しています。なお、賀茂真淵は「岬(さき)の撓(たを)り」と訓み、春山の崎の撓(たわ)んだ所で、と解釈しています。「春菜摘む」の「春菜」は、春の野に生える食用の雑草。「わかな」と訓む本もあります。ここは、春の野遊び、山遊びの際の若菜摘みのこと。「白紐」は、衣の上着に結んでいる紐で、色染めしていないもの。「見らくしよしも」の「見らく」は「見る」のク語法で名詞形、「し」は、強意の副助詞。「よし」は、愛でたい意。
1422の「うち靡く」は、春の草木がやわらかく靡く意で、「春」の枕詞。「山の際」は、山と山の合間、山あい。「遠き木末」は、奥まったほうの樹木の梢。前の歌と同じく花の名前は言っていませんが、こちらも桜とみられます。『万葉集』では、このように桜の花の花名を略して詠まれている歌が少なくありませんが、桜の花の鑑賞は平安期に入ってからなので、ここでは山の桜が群がる光景が対象になっています。「咲きゆく見れば」は、遠景でありながらも、日々の細やかな観察による感動と喜びが込められている表現です。原文は「開往見者」で、「咲きぬる見れば」とも訓めます。斎藤茂吉はこの歌を評し、ゆったりとした迫らない響きを感じさせ、春の到来に対する感慨が全体にこもり、特に結句の「見れば」のところに集まっているようだ、と言っています。なお、巻第8-1865に、「うち靡く春さり来らし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば」という、作者未詳の類似歌があります。
1423は、阿倍広庭(あべのひろには)の歌。阿倍広庭は、壬申の乱で活躍して後に右大臣となった阿倍御主人(あべのみうし)の子。和銅2年(709年)、正五位下伊予守を振り出しに、霊亀元年(715年)に宮内卿、その後、左大弁、参議を経て、神亀4年(727年)に従三位、中納言。中納言は、大納言を補佐する役として慶雲2年(705年)に再び設けられた令外官。広庭は、『懐風藻』に詩2首、『万葉集』には4首の歌を残しています。天平4年(732年)2月、74歳で没。「いこじて」の「い」は、強意の接頭語、「こじて」は、根を堀り起こして。「植ゑし」は、移植した意。「梅」は、白梅。心待ちにしていた庭の梅の開花を見た喜びの歌で、奈良朝のころになると、貴族たちの間に造園趣味がかなり広まっていたらしいことが窺えます。また、中国からの舶来の梅は、移植してでも自分の庭に植える価値のある木だと考えていたようです。

「山の端」と「山の際」の違い
『万葉集』の意味の紛らわしい語に、「山の端(は)」と「山の際(ま)」というのがあります。「山の端」の原文表記は「山之末」で、山の頂を指し、山の稜線の意に用いられます。それに対し、「山の際」の原文表記は「山際」で、「際」というのは二つの物が接する所の意なので、山と山とが接する所を表します。そして、そこには空間ができているため、「山の間」と言われるのです。一方、今日言うところの「山際(やまぎは)」の語は、奈良時代にはありませんでした。
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さき(崎・咲き・幸)
サキは、漢字を宛てれば「先」「前」「崎」などさまざまだが、原義としては、あるものが外側の世界に向かって突き出たその先端をいう。外側の世界との接触の場であり、外側の世界の霊威を真っ先に受感する場でもある。
この意味のサキは、「崎」がいちばんわかりやすい。陸地が海に向かって突き出たところが崎である。崎は海の彼方からやって来る異界の霊威が真っ先に依り憑く場所とされた。異界の霊威は神そのものとも考えられたから、崎の突端にはそうした神を祀る社が設けられていることが多い。このような崎は、一般には「み崎(岬)」と呼ばれるが、ミは聖性を示す接頭辞だから、そこが神の支配する領域であることを示す。み崎は、異界の霊威の依り憑く場であるとともに、異界へ向かう場所ともされた。
異界の霊威が依り憑く場所がサキだが、それを動詞化したのが「咲く」である。動詞「咲く」も、崎と同様、語の基底には、神を迎え、神と交わる意がある。この「咲く」は、枝のサキ(先端)に季節の霊威が宿り、その霊威の発動によって花が開くことを意味する。「花」もハナ(端・鼻)であり、サキと同様、ものの先端を意味する。み崎(岬)のように海に突き出た地形を「・・・鼻」と呼ぶ例もある。動物の鼻も、顔の中央から突き出ているからハナと呼ばれる。「花」も植物の先端に「咲く」ものゆえ、ハナと呼ばれた。
花が咲くところには、霊威がしきりに発動している。その霊威の発動している状態、霊威の充ち満ちている状態を、さかり(盛り」といった。この「盛り」と同根と見てよいのが動詞「栄ゆ」である。「咲く」が花に宿る霊威の顕著な発動を意味したように、「栄ゆ」もそこに宿る霊威や生命力が充実した力を発揮して、そのさまが外部に現れ出ている状態を意味する。
「栄ゆ」と同根で、やはり霊威の盛んな発動を意味する言葉にサキハフ(幸はふ)がある。サキハフのサキは「咲き」に重なる。動詞サク(咲く)の連用形名詞だが、この場合は用字としてしばしば「幸」が用いられる。ハフは「延ふ」で、ニギハフ(賑はふ)などのハフと同じく、ある力が周囲に向かって水平的に広がるさまを示す。空間全体に霊威が及んで、満ち足りた状態になることを意味する。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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