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巻第8(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第8-1431

訓読

1431
百済野(くだらの)の萩(はぎ)の古枝(ふるえ)に春待つと居(を)りし鶯(うぐひす)鳴きにけむかも

意味

〈1431〉
 百済野の萩の古枝に春の訪れを待っていたウグイスは、もう鳴き始めているだろうか。

鑑賞

 山部赤人の歌。山部赤人は奈良時代の初期から中期にかけて作歌がみとめられる宮廷歌人(生没年未詳)で、大伴旅人・山上憶良より少しおくれ、高橋虫麻呂とほぼ同時期の人です。もともと山守部(やまもりべ)という伴造(とものみやっこ)の子孫らしく、また伊予の豪族、久米氏の末裔とも言われています。古くから人麻呂と並び称せられ、とくに自然を詠じた叙景歌にすぐれているとされます。年代の明らかな作品は、神亀元年(724年)から天平8年(736年)までです。

 「百済野」は、奈良県北葛城郡広陵町百済にある野とされますが、「くだら」の名の地は関西には何か所かあり、橿原市高殿町や大阪市天王寺区と見る説もあります。往時、百済国や新羅国からの帰化人が住みついていたための名だろうとされます。「萩の古枝」は、冬に花や葉が散って枯れ枝同然になったもの。「春待つと」は、春の到来を待つとて。「鳴きにけむかも」の「けむ」は、推量の助動詞、「かも」は、詠嘆を込めた疑問。春到来の喜びを詠んだものですが、喜びをそのまま表現するのではなく、いったん「鶯」に感情移入し、それによって間接的に表すという理知的な詠みぶりとなっています。実景ではなく、まだ冬だった頃に見かけた百済野の萩の古枝にいた鶯を思い出し、春の訪れを表現したもののようですが、文芸的な意欲が目立つため、かつての実体験でもなかったと見る向きもあります。
斎藤茂吉はこの歌を評し、「何でもないようであるが、徒に興奮せずに、気品を持たせているのを尊敬すべきである」と言っています。

 万葉人は、春一番に咲く花を梅とし、春一番に鳴く鳥を鶯と考えていました。鶯の名については、南西諸島与論島の方言の古語にウグヒ・ウグヰという語があり、よく囀るもの、上手に歌う者の意を表し、この語に、カラス・ホトトギスなどと同じ接尾語スがついてできたとされます。
 


『万葉集』に詠まれた鳥

1位 霍公鳥(ほととぎす) 153首
2位 雁(かり) 66首
3位 鶯(うぐいす) 51首
4位 鶴(つる:歌語としては「たづ」) 45首
5位 鴨(かも) 29首
6位 千鳥(ちどり) 22首
7位 鶏(にわとり)・庭つ鳥 16首
8位 鵜(う) 12首

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山部赤人の歌風

 山部赤人は、柿本人麻呂と並び「歌聖」と称される、奈良時代初期の代表的な歌人です。聖武天皇の宮廷歌人として各地への行幸(御幸)に供奉し、すぐれた讃歌や景観歌を残しました。彼の歌風における主な特徴は以下の通りです。

  1. 叙景歌の完成(清澄な自然描写)
    赤人の最大の特徴は、客観的で絵画的な景観描写にあります。主観的な感情を前面に出さず、目の前にある自然の美しさをそのまま切り取ったような、明るく清澄な歌風を確立しました。彼の代表歌の一つである「田子の浦ゆ 打ち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」(巻3-318)に見られるように、視点が移動しながらダイナミックかつ写実的に風景が広がっていく展開は、赤人独自の技巧です。
  2. 独自の「三句詠み切り」の構造
    長歌に添えられる反歌において、赤人は第三句で一旦意味や文法上の切れ目を置く表現(三句詠み切り)を頻繁に用いました。すなわち、上の句(第一句〜第三句)で「空間的な広がりのある風景」を提示し、下の句(第四句・第五句)で「時の経過や動的な情景、あるいは詠嘆」を結びつけます。この構図により、歌全体にゆったりとした空間的・時間的な奥行きが生まれます。
  3. 明快で洗練された修辞と美意識
    柿本人麻呂が雄渾で壮大な表現を好み、複雑な枕詞や対句を多用したのに対し、赤人の表現は簡素で洗練されており、非常に明快です。自然描写においては、白雪、緑の嶺、紫草など、視覚的・色彩的な鮮やかさが際立ちます。また、情念に流されることなく、品格の高い調べ(調子)、すなわち、古典的・宮廷的な典雅さを保っています。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。