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巻第8(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第8-1436・1437・1493

訓読

1436
含(ふふ)めりと言ひし梅が枝(え)今朝(けさ)降りし沫雪(あわゆき)にあひて咲きぬらむかも
1437
霞(かすみ)立つ春日(かすが)の里の梅の花山の下風(あらし)に散りこすなゆめ
1493
我(わ)が宿(やど)の花橘(はなたちばな)を霍公鳥(ほととぎす)来(き)鳴き響(とよ)めて本(もと)に散らしつ

意味

〈1436〉
 蕾がふくらんでいると人が言っていた、その人の家の梅は、今朝降った沫雪に逢って咲いただろうか。
〈1437〉
 霞が立ち込めている春日の里の梅の花よ、山おろしの風に散ってしまわないでおくれ、決して。
〈1493〉
 我が家の庭にせっかく咲いた橘の花を、ホトトギスがやって来ては鳴き立て、根元に散らしてしまった。

鑑賞

 1436・1437は、題詞に「大伴宿禰村上(おほとものすくねむらかみ)が梅の歌二首」とある歌。大伴村上は、天平勝宝6年(754年)頃に民部少丞(民部省の三等官、従六位相当)、この時、大伴家持の邸で年賀の歌を詠んでいます(巻第20-4299)。宝亀2年(771年)に正六位上から従五位下に進み、肥後介になり、翌年阿波守となった人。『万葉集』には、短歌4首。

 
1436の「含めりと言ひし」の「含めり」は、植物が蕾んでいる意。「と言ひし」は、(誰かが)言っていた、あるいは、(自分が)言った。「梅が枝」は、梅の枝。「が」は連体修飾格の格助詞。「沫雪」は、泡のようにやわらかく消えやすい雪。春先に降る雪を指します。「あひて」は、(雪に)出会って。単なる接触だけでなく、雪との劇的な出会いを強調しています。「咲きぬらむかも」は、咲いたことだろうか。完了の「ぬ」+推量の「らむ」+詠嘆の「かも」。雪は本来は梅の開花を妨げるものですが、ここでは雪の白さと競うようにして梅も白い花を咲かせただろうかと言っています。

 
1437の「霞立つ」は、同音反復で「春日」にかかる枕詞。叙述にもなっています。「春日の里」は、奈良市東方、春日山一帯の里。「山」は、春日山。「下風」は、あらし。「下風」と記しているのは、山おろしの風の意を含ませたものとされます。「散りこすなゆめ」の「こす」は、他者への要望を表す願望の助動詞。ここでは、風に対して「散らさないでくれ」と頼んでいます。「ゆめ」は、決して。春日の里から梅の便りを寄こしてきたのに対して贈った歌と見られ、2首連作とされます。

 なお、「霞」は、遠景をおぼろにしか見えないように蔽う雲気のことで、空中に漂う微細な水滴からなります。当時は、春の霞、秋の霧という季節と結びついた固定的な考えはそれほどでもなかったといいます。霞や霧の立ち込める現象は瑞祥とされ、その地が生命力に富む証しというので、「霞立つ」は、地名にかかる讃め詞の枕詞の一つでもありました。また、『万葉集』で梅を詠み入れた歌は約120首あり、萩を詠んだ約140首に次いで第2位の数となっています。ただ、萩とは違い、梅は庭園に植えて愛でられた渡来の花樹であるため、限られた階層の人々の歌の対象として、片寄ったあり方で存在します。また、古今集以後の歌人に愛でられたような、その香を歌ったものは殆どありません。

 
1493は、大伴村上の「橘の歌」。「宿」は、家の敷地、庭先。「花橘を」は、橘の花なのにその橘の花を、の意。「を」は、第5句の「散らす」の目的語を示す格助詞ですが、花橘に対する思い入れの強さゆえに、続く句に対して逆説的な意を内に含んで感動助詞ないし接続助詞的な働きをしているものです。「響めて」は、鳴り響かせて。「本に」は、木の根元に。庭に植えた橘にホトトギスが来たのを喜びながらも、せっかく咲いた花を散らしてしまったことを嘆いている歌です。
 


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『万葉集』に詠まれた植物

1位 萩 142首
2位 こうぞ・麻 138首
3位 梅 119首
4位 ひおうぎ 79首
5位 松 77首
6位 藻 74首
7位 橘 69首
8位 稲 57首
9位 すげ・すが 49首
9位 あし 49首

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。