| 訓読 |
1438
霞(かすみ)立つ春日(かすが)の里(さと)の梅の花(はな)花に問はむと我(わ)が思はなくに
1439
時は今は春になりぬとみ雪降る遠山(とほやま)の辺(へ)に霞(かすみ)たなびく
1440
春雨(はるさめ)のしくしく降るに高円(たかまど)の山の桜はいかにかあるらむ
| 意味 |
〈1438〉
霞が立つ春日の里に咲いている梅の花が咲いている。でも、花だけに対して物を言おうと思っているのではない。
〈1439〉
時節は今まさに春になったとて、雪が降り積もった遠山のあたりに霞がたなびいている。
〈1440〉
春雨がしきりに降り続いているけれど、高円山の桜はどうなっているだろう、もう咲き始めただろうか。
| 鑑賞 |
1438は、大伴宿祢駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)の歌。大伴駿河麻呂は、壬申の乱の功臣である大伴御行の孫ともいわれ(父は不詳)、天平15年(743年)に従五位下、同18年に越前守、天平勝宝9年(757年)の橘奈良麻呂の変に加わったとして、死は免れるものの処罰を受け長く不遇を託ち、のち出雲守、宝亀3年に陸奥按察使(むつあぜち)、陸奥守・鎮守将軍として蝦夷(えみし)を攻略、同6年に正四位上・参議に進みました。宝亀7年(776年)に亡くなり、贈従三位。『万葉集』には短歌11首、勅撰歌人として『続古今和歌集』にも一首の短歌が載っています。また、大伴宿奈麻呂と坂上郎女との間の娘、二嬢(おといらつめ)と結婚しています。
「霞立つ」は、同音反復で「春日」にかかる枕詞。「春日の里」は、奈良市東方、春日山一帯の里。「春日の里の梅の花」は、女を暗示しており、下の「花」に同音で掛けている序詞。「花に問はむと我が思はなくに」は、花だけに対して物を言おうと(花だけに引かれて訪ねようと)思っているのではない、の意で、「花」は「実」に対比させての語。すなわち仇心ではなく我が実意を誓っているという歌です。二嬢に宛てたものとみられます。なお、第5句の「我が思はなくに」は8文字の字余りになっていますが、句中に単独母音オを含むので、7音節に訓むことができます。同じ巻第8に、二嬢の母である坂上郎女の「風交じり雪は降るとも実にならぬ我家の梅を花に散らすな」(1445)という、「我家の梅」を二嬢の喩えとして詠んだ歌があり、それと駿河麻呂のこの歌を絡めて説くものもあります。
1439は、中臣武良自(なかとみのむらじ:伝未詳)の歌。中臣宅守の縁者かともいわれます。『万葉集』にはこの1首のみ。「時は今は」は「今」を強めて言ったもの。字余りになりますが、単独母音イを含むので5音節に訓むことができます。原文「時者今者」の「今者」をイマとして、トキハイマと訓むものもあります。「み雪」の「み」は、美称。「遠山の辺に」は「遠き山辺に」と訓むものもあります。春の到来の喜びを強く言おうとしている歌であり、それに合わせるかのように、冬の様相が残る遠い山々にも春霞のかかる自然のいとなみの霊妙さに焦点を当てています。
1140は、河辺東人(かわべのあずまひと)の歌。天平5年(733年)の山上憶良の沈痾の時に、藤原八束の使者としてお見舞いに来た人です。宝亀元年(770年)に石見守。『万葉集』にはこの1首のみ。「しくしく」は、しきりに。物が重なり合ってゆくさまをいい、重なる意の動詞「しく」を二つ重ねたもの。「高円の山」は、奈良市東方、春日山の南の山。「いかにかあるらむ」の「らむ」は現在推量で、どうなっていることであろうか、の意。もう咲いているのではないだろうか、の意を含んでいます。万葉人は、雨が降るとその雨が開花を促すと考えていました。

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