| 訓読 |
1448
我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む
1449
茅花(つばな)抜く浅茅(あさぢ)の原のつぼすみれ今盛りなり我(あ)が恋ふらくは
| 意味 |
〈1448〉
私の家の庭に蒔いたナデシコの花は、いつになったら咲くのだろうか。その花をあなただと思って眺めます。
〈1449〉
ツバナを引き抜いて食べられる春がやってきました。その浅茅が原に、つぼすみれが真っ盛りに咲いています。そのように、あなたを恋しく思う気持ちで私の胸はいっぱいです。
| 鑑賞 |
1448は、大伴家持が、坂上家にいる大嬢に贈った歌。「やど」は、家の敷地、庭先。「なでしこ」は、山野に自生する多年草、大和撫子のこと。「いつしかも」の「し」は強意で、「か」は疑問。いつになったら、早く。「なそへ」は、大嬢になぞらえる意。この「なそふ」は『万葉集』でも珍しい言葉とされ、古く『柿本人麻呂歌集』に1例見えるのみで、家持の歌にしか使われていません。これは「なぞらえる」の古語ですが、なぞらえるということ自体が一般的でなく、もし言うならば「よそふ」でした。「よそふ」が「寄し添ふ」なら、「なそふ」は「成し添ふ」だと考えられ、家持は「よそふ」では満足できず、「なそふ」と表現したのかもしれません。この歌は「春の相聞」の冒頭に位置しており、ナデシコの秋の開花を待つ、すなわち大嬢の女性としての成長を待つ歌となっています。時は天平5年(733年)春、本歌は家持初期の15歳ころの作であり、家持は早く大嬢と結婚したかったと見えます。
秋の七草のうち、鮮やかな色彩の可憐な花といえば、ナデシコを置いてほかにありません。その名が「撫でし子」の意を思い起こさせる花でもあるナデシコを、家持はこよなく愛し、初恋の相手、坂上大嬢をナデシコに擬しています。また、家持がその後結婚した妾を失った時の亡妾挽歌にも、「秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも」(巻第3-464)とあり、その亡妾もまたナデシコの花を愛していたらしく思われ、この亡妾のことばは、家持の脳裏に忘れ難いことばとして刻み込まれたのではないでしょうか。やがて年月の経過とともに、大嬢との関係を再開した家持は、再び大嬢をナデシコに見立てて歌を詠んでいます。「なでしこがその花にもが朝なさな手に取りもちて恋ひぬ日無けむ」(巻第3-408)。
1449は、題詞に「大伴の田村の家の大嬢、 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる」とある歌。女から男への恋歌のような趣ですが、姉が妹に贈った歌です。二人は異母姉妹で、父は大伴宿奈麻呂。宿奈麻呂の家は田村の里にあり、そこで生まれ育った姉が田村大嬢と呼ばれたようです。田村の里は、奈良市法華寺町付近、または天理市田町ともいわれます。一方、坂上大嬢は、『万葉集』に女性歌人としてもっとも多くの歌が載っている坂上朗女の娘です。こちらは坂上(所在未詳)に家があったため、母は坂上朗女、娘は坂上大嬢と呼ばれました。異母姉妹は離れて暮らす場合が多かったので疎遠になりがちなのに、この二人はとても仲が良かったようです。坂上大嬢は、のちに大伴家持の正妻になった女性です。
「茅花」は、イネ科の茅(ちがや)で、柔らかい綿のような白い花穂を抜き採って食用としました。「浅茅が原」は、丈の低い茅の生えた野原。浅茅原はは、神迎えの場など、村人共有の場であることが多く、ここも特定の場所をさした固有名詞に近いものとされます。「つほすみれ」は、今のタチツボスミレ、あるいはスミレの名の原義が墨壺(墨入れ)に似ていることからきているので、それを強調してこう呼んだとの説もあります。ここまでの上3句は、その花の「盛り」の意で下の「盛り」へ続き、その内容を転じさせて「今盛りなり」を導く序詞。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。原文「恋苦」で、意識的に「苦」の字があてられたものと見えます。田村大嬢の歌は『万葉集』に9首あり、そのすべてが坂上大嬢に贈った歌です。どの歌も、異母妹に対する愛情の深さが滲み出ています。
ところで、「大嬢(おほいらつめ)」とは、同母姉妹の中での長女のことを言います。坂上郎女は大伴宿奈麻呂との間に2人の娘をもうけており、その長女を「大嬢」と言い、次女を「二嬢(おといらつめ)」と言っています。一方、田村大嬢は宿奈麻呂が先妻との間にをもうけた娘であり、田村大嬢にも「大嬢」とあるのは、先妻との間に生まれた長女だったからです。

収録歌数の多い歌人
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |