| 訓読 |
1464
春霞(はるかすみ)たなびく山の隔(へな)れれば妹(いも)に逢はずて月そ経(へ)にける
1465
霍公鳥(ほととぎす)いたくな鳴きそ汝(な)が声を五月(さつき)の玉にあへ貫(ぬ)くまでに
| 意味 |
〈1464〉
春霞がたなびく山に隔てられているために、いとしいあなたに逢うことがないままに月日が過ぎてしまった。
〈1465〉
ホトトギスよ、そんなに鳴かないでおくれ。五月五日の薬玉におまえの声を混ぜて紐に通すまでは。
| 鑑賞 |
1464は、恭仁京にいる大伴家持が、奈良の家にいる大嬢に贈った歌。天平12年8月、太宰少弐の藤原広嗣が、政界で急速に発言権を増す唐帰りの僧正玄昉と吉備真備を排斥するよう朝廷に上表しましたが、受容れられず、9月に筑紫で反乱を起こす事件が起きました。10月、都に異変が勃発するのを恐れた聖武天皇は避難のため東国へ出発し、伊賀・伊勢・美濃・近江を経て山背国に入り、12月15日に恭仁宮へ行幸、そこで新都の造営を始めました。この時の家持は、内舎人として行幸に従っており、その翌年春に詠んだ歌とみられます。「奈良の家」は、坂上の里にある、坂上郎女の家か。
「たなびく」の原文「軽引」で、同じ用字の例は他にもあります。中国南宋の謝荘や沈休文などの漢詩に接した万葉人の、漢詩の知識を背景にした詩語の応用の一例とされます。「隔れれば」は、隔てているので。「逢はずて」は、逢わないまま。窪田空穂は、「事を事として素直にいっているのみであるが、その調べがおのずからに潤いを帯びていて、事がただちに気分化して親しくまつわってくるものがある。単純を極めた歌であるが、空疎を感じさせないのは、この調べのためである。これは家持の人柄から発しているもので、作者としては無意識のものである」と述べています。同じ時期の作と思われる歌が、巻第4-765~768にあります。
1465は、藤原夫人(ふじはらのぶにん)の歌。「霍公鳥」は、カッコウ科の夏鳥で、陰暦5月、立夏の頃に渡ってくるものと信じられていました。『万葉集』には最も多く詠まれた鳥で、その声が万葉人に賞美されました。「な鳴きそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「五月の玉」は、五月五日の端午の節句に邪気を払うため、種々の香料を入れた綿の袋に菖蒲や橘花などをつけた緒を垂れて室内にかける風習があり、その緒につける玉のこと。「あへ」は、あわせて。ホトトギスの声を混ぜて貫くというのは空想的な趣向によっています。
五月にならないうちからしきりにホトトギスが鳴くのを制止した歌ですが、ホトトギスの声を愛でる歌は、天武天皇の時代から見え出し、時代が下るにつれて次第に数が増え、奈良時代には夏の景物の代表となりました。また、霍公鳥の声を薬玉として貫こうという類歌も少なくありません。窪田空穂は「一首、美しさとともに女性らしい知性が働き、調べもそれにふさわしく、明るく品位のある歌である」と評しています。
藤原夫人の「夫人」というのは後宮の職名で、藤原夫人は藤原氏出身の夫人という意味です。ここでは、藤原鎌足の娘・五百重娘(いおえのいらつめ)を指し、大原大刀自(おおはらのおおとじ)とも称せられ、天武天皇の皇后・妃に次ぐ位の「夫人」として仕えました。「夫人」は、光明皇后以前は、皇族以外の出身で望みうる最高の地位でした。天皇との間には新田部皇子(にひたべのみこ)が生まれています。

いも(妹)
『万葉集』の歌においては、概ね男性から親愛の情をこめて女性を呼ぶ呼称として用いられる。セ(背・兄)と一対をなし、古代の兄妹の濃密な関係を、恋愛関係にある男女の関係に持ち込む呼称と見られている。
『万葉集』には相聞歌を中心に約670例見られ、恋愛においては一般化している呼称に見えるが、次の歌を見ると、やはり男性が女性をイモと呼ぶことには、特別な意味合いが込められているようである。
妹と言はばなめし恐ししかすがに懸けまく欲しき言にあるかも(巻第12-2915)
イモなどと呼ぶと無礼で畏れ多いけれども、それでも相手の女性をイモと呼びたいという衝動が歌われており、女性をイモと呼ぶことが男女の特別な関係を前提とすることを示している。
元来イモは、男性から女性の姉妹を指す親族名称であり、歌においてもイモの原義で用いられた用法も見られる。
言問はぬ木すら妹と兄とありといふをただ独り子にあるが苦しさ(巻第6-1007)
市原王の歌で、「物言わぬ木でさえ兄妹があるというのに、自分が独りっ子であることが苦しい」というほどの意味である。このイモは親族名称としてのイモの意で用いられている。
~『万葉語誌』から引用
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