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巻第8(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第8-1466・1467

訓読

1466
神奈備(かむなび)の磐瀬(いはせ)の杜(もり)の霍公鳥(ほととぎす)毛無(けなし)の岳(をか)に何時(いつ)か来鳴かむ
1467
霍公鳥(ほととぎす)無かる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも

意味

〈1466〉
 神奈備の岩瀬の森で鳴いているほととぎすよ、自分の住んでいる毛無の岡には一向に声が聞こえないが、いつになったら来て鳴いてくれるのか。
〈1467〉
 ホトトギスのいない所があるなら行きたいものだ。その鳴き声を聞くと辛い。

鑑賞

 1466志貴皇子(しきのみこ)の歌。「神奈備」は神のいる神聖な場所という意味で、ここは飛鳥の神奈備ではなく竜田の神奈備で、その南方に「岩瀬の森」があります。「磐瀬の社」で霍公鳥が鳴くことを詠む歌は他にもあり(巻第8-1470)、霍公鳥の名所だったのかもしれません。「毛無の岡」の所在未詳ながら、「毛無」は、樹木の生えていないはげ山などの土地を示す場合が多いようです。一説には、法隆寺の北、毛無岡の辺りとされます。「何時か来鳴かむ」の「か」は疑問の係助詞で、連体形「む」で結び。

 国文学者の
窪田空穂は、この歌について次のように評しています。「磐瀬の社へ行って、そこに鳴いている霍公鳥を聞いた時、わがいる毛無の岳へはいつ来るだろうと、その時の早からんことを願った心のものである。『磐瀬の社』『無毛の岳』という地名の重い響と霍公鳥の優婉な声とがおのずから対照的となり、一首にある深みを帯びさせている。調べも重くさわやかで、その心を生かすものとなっている。単純な、品位の高い歌である」

 
志貴皇子天智天皇の第7皇子で、天武朝ではすでに成年に達していたとみられ、天武8年(679年)5月に、吉野宮における有力皇子の盟約に参加しています。続く持統朝では不遇であったらしく、撰善言司(よきことえらぶつかさ)に任じられたほか要職にはついていません。しかし、志貴皇子の薨去から50年以上を経た宝亀元年(770年)、息子の白壁王(しらかべのおおきみ)が62歳で即位し光仁天皇となって天智系が復活したのに伴い、春日宮御宇天皇(かすがのみやにあめのしたしらしめすすめらみこと)と追尊、また田原天皇とも称されるようになりました。『万葉集』には短歌6首を残し、流麗明快で新鮮な感覚の歌風は高く評価されています。

 天智天皇の弟の大海人皇子が、壬申の乱に勝利し天武天皇として即位して以来、持統・文武・元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳の8代にわたって天武系の皇統が続きましたが、孝謙女帝が重祚して称徳天皇になった時点で、天武系の子孫は絶え、天智天皇の皇孫である白壁王が第49代光仁天皇として即位しました。そして、その子の山部(やまのべ)皇子が第50代
桓武天皇となり、時代は平安時代へと移っていきます。その意味で、志貴皇子の存在は、はからずも歴史上重要な結節点となったのです。

 
1467は、弓削皇子(ゆげのみこ)の歌。「無かる」は、形容詞「無し」の連体形。「国」は、所、土地という狭い範囲の意で用いられています。「行きてしか」の「てしか」は、行為的願望の終助詞。行きたい、行ってしまいたい。ホトトギスは、その哀調を帯びた鳴き声が愛され、『万葉集』には、ホトトギスを詠んだ歌が153首もあります。ここは、中国の蜀の望帝が山中に隠棲し、その霊魂がホトトギスになったという故事を思い起こしているのかもしれません。病弱だった作者が、その亡き声を忌避している歌です。

 
弓削皇子(673年?~没年699年)は、天武天皇の第6皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。同母兄に長皇子。持統天皇10年(696年)の太政大臣・高市皇子薨去後の、皇太子を選ぶ群臣会議で、軽皇子(後の文武天皇)をたてることに異議をとなえようとし、葛野王(かどののおう)に叱責され制止されたことで知られます。本来であれば皇位継承順位第一位となるはずだった同母兄の長皇子を推薦しようとしたのだと推測されています。

 『万葉集』には8首の歌が残されており、これは天武天皇の皇子のなかで最多。異母姉妹の紀皇女を思って作った歌、額田王との問答歌などがあります。また、それとは別に『柿本人麻呂歌集』に皇子に献上された歌が5首残されており、交流の跡が偲ばれます。なお、皇子は、文武天皇3年(699年)7月に27歳?の若さで、兄や母に先立って没しましたが、『万葉集』を根拠に、軽皇子の妃であった紀皇女と密通し、それが原因で持統天皇によって処断されたとの説があります。
 


霍公鳥の故事

 霍公鳥(ホトトギス)は、特徴的な鳴き声と、ウグイスなどに托卵する習性で知られる鳥で、『万葉集』には153首も詠まれています(うち大伴家持が65首)。霍公鳥には「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などの異名がありますが、これらは中国の故事や伝説にもとづきます。

 ―― 長江流域に蜀(古蜀)という貧しい国があり、そこに杜宇(とう)という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興、やがて帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の治水に長けた男に帝位を譲り、自分は山中に隠棲した。杜宇が亡くなると、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来ると、鋭く鳴いて民に告げた。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは、ひどく嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐くまで鳴いた。ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。――

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古典に親しむ

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