| 訓読 |
1468
霍公鳥(ほととぎす)声聞く小野(をの)の秋風に萩(はぎ)咲きぬれや声の乏(とも)しき
1469
あしひきの山霍公鳥(やまほととぎす)汝(な)が鳴けば家なる妹(いも)し常(つね)に偲(しの)はゆ
1470
もののふの石瀬(いはせ)の社(もり)の霍公鳥(ほととぎす)今も鳴かぬか山の常蔭(とかげ)に
1471
恋しけば形見(かたみ)にせむと我(わ)がやどに植ゑし藤波(ふぢなみ)今咲きにけり
| 意味 |
〈1468〉
ホトトギスの声がいつも聞こえるこの小野に、秋風が吹いてもう萩の花が咲いたのか。そうでもないのに、鳴く声が乏しくなってきた。
〈1469〉
人里離れた山のホトトギスよ、お前が鳴けば、家にいる妻のことが、絶えず思い出されてならない。
〈1470〉
石瀬の社にいるホトトギスよ、今こそ鳴いてくれないか、この山の陰で。
〈1471〉
恋しくなったら、その人を思い出すよすがにしようと、私の庭に増えた藤の花が、今ようやく咲いた。
| 鑑賞 |
1468は、題詞に「小治田(おはりだ)の広瀬王(ひろせのおほきみ)の霍公鳥の歌」とあり、住んでいた所が示されています。「小治田」は、奈良県明日香村で、推古天皇の皇居があった地。広瀬王は、系譜未詳ながら、『日本書紀』の編者の一人とされます。和銅元年(708年)大蔵卿、養老2年(718年)正四位下、同6年没。『万葉集』にはこの1首のみ。「声鳴く」は、いつも声を聞く意で、恒常的な事実を示したもの。「小野」の「小」は美称。「萩咲きぬれや」は、萩が咲いたからか、そんな季節になったはずはないのに。「や」は疑問の意を含む反語で、「乏しき」はその結びの連体形。霍公鳥は、夏の到来を告げる鳥とされていて、挽歌のころ、家に近い野でさかんに鳴いていた霍公鳥の声が乏しくなってきたのを惜しんでいる歌です。
1469は、沙弥(さみ)が霍公鳥を詠んだ歌。「沙弥」は、仏門に入って十戒を受けたばかりの修行中の僧のことですが、この沙弥が誰であるかは分かりません。大宰府の筑紫観世音寺の別当、沙弥満誓とも推測されますが、定かではありません。仏道修行のため山に籠っているものの、その寂しさに堪えかね、霍公鳥の声を聞くと家の妻が思い出されると言っています。僧侶であっても沙弥という立場では、俗人と同様に妻帯した者は少なくなくなかったとみられています。「あしひきの」は「山」の枕詞。「偲はゆ」の「ゆ」は自発で、思い出される。
1470は、刀理宣令(とりのせんりょう)の歌。刀理宣令は渡来系の人とされ、養老5年(721年)従七位下、山上憶良らと東宮(後の聖武天皇)に侍し、正六位上、59歳で没。『万葉集』には2首、『懐風藻』に2首の詩が載っています。「もののふの」は、朝廷に仕える部族が多い意で「八十」と続くのと同じ意で、五十の「い」、すなわち「石瀬」にかかる枕詞。「石瀬の社」は未詳ながら、奈良県斑鳩町または三郷町という説があります。「今も鳴かぬか」の「ぬか」は、希求の意。ただし、原文「今毛鳴奴」に「か」に当たる文字がないため、「今しも鳴きぬ」と訓むものもあります。ここは、もともと「奴可」とあったのが「可」の脱落したものと見ています。「常陰」は、いつも日が射さない所の意ですが、他には用例がない語です。
1471は、山部赤人の歌。「恋しけば」は、恋しくなったら。コホシケバとも訓めますが、記紀歌謡が「コホシ」の用例のみであるところから、コホシはコヒシに比べて古形と見られています。「形見」は、人や過ぎ去ったことを思い出す種となるもの。「藤波」は、藤の花の状態を具象化した歌語であり、散文には用いられません。この歌について窪田空穂は、次のように評しています。「いっているところは単純であるが、その単純は気分化していっているがためで、したがって余情をもった作である。事としては、関係は結んだが、その後は逢える望みのない女を思うことであるが、それはすべて背後に押しやり、直接には一語も触れていない。『恋しけば形見にせむと』は、そのことをあらわしているものであるが、『植ゑし藤浪』は、それだけにとどまらず、その女と相逢った時を思わせる唯一の物という関係のものにみえる。すなわち微細な味わいをもったものである。『今咲きにけり』と、それを中心とし、詠歎をもっていっているのは、それによってその女が現前するごとく感じてのものとみえる。一首、細かい気分を織り込み、おのずから、それを漂わしている歌である。奈良朝中期以後の、気分本位の歌の傾向は、すでに赤人が開いているとみえる歌である」

ホトトギス
ホトトギス科の鳥で、鳩よりやや小さく全長27、8cm。頭と背が黒っぽい灰色、腹は白く、黒い黄斑があります。冬は南方で過ごし、日本へは初夏(5月ごろ)に渡来し、山から人里に来て鳴きます。鳴き声は、テッペンカケタカまたはトッキョキョカキョクなどと聞き馴らされています。万葉時代とくに後期以降に愛好され、集中に詠まれた鳥の中で最も多く、153首に歌われています。中でも大伴家持に64首もあり、こよなくホトトギスを愛したことが窺えます。
なお、『万葉集』でのホトトギスの表記は、一字一音で書く以外はすべて「霍公鳥」となっています。中国では一般に杜鵑、子規、杜宇などのほか多くの表記がありますが、霍公鳥はなく、出典が明らかではありません。これを音読すれば、クヮクコウ鳥であるため、郭公(かっこう)と何らかの関係があるものと考えられます。両者はともに鳴き声からつけられた名で、鳴き方はホトトギスが鋭く激しいのに対し、カッコウはのどかにゆったり鳴くので、対照的です。しかし、ともにホトトギス科に属し、体長はカッコウがやや大きい程度で、体形・体色それに托卵の習性など、多くの類似点があります。しかも『万葉集』には、あの親しみやすい鳴き声のカッコウを詠んだ歌が一首もないことが、古くから問題とされています。
そこで、万葉でいうホトトギスは、霍公鳥の文字からしても、実はカッコウではないかとか、両者を含むホトトギス科の鳥の総称であろうとか、あるいは当時はそれぞれを別の鳥とする認識がなく、同じ鳥が夜昼や雌雄または幼鳥と成鳥などの違いによってさまざまに鳴くと考えられていたのだろう、などと言われています。
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