| 訓読 |
1476
ひとり居(ゐ)て物思(ものも)ふ宵(よひ)に霍公鳥(ほととぎす)こゆ鳴き渡る心しあるらし
1477
卯(う)の花もいまだ咲かねば霍公鳥(ほととぎす)佐保(さほ)の山辺(やまへ)に来(き)鳴き響(とよ)もす
1478
我が宿の花橘(はなたちばな)のいつしかも玉に貫(ぬ)くべくその実なりなむ
1479
隠(こも)りのみ居(を)ればいぶせみ慰(なぐさ)むと出(い)で立ち聞けば来(き)鳴く晩蝉(ひぐらし)
| 意味 |
〈1476〉
一人でいて物思いにふけっている夜に、ホトトギスがここを通って鳴き渡って行く。私を慰めようとする心あってのことだろう。
〈1477〉
卯の花もまだ咲かないのに、ホトトギスが佐保の山辺にやって来て鳴き立てている。
〈1478〉
私の家の庭先の花橘は、いつになったら珠として緒に通せるようにその実がなるのだろうか。
〈1479〉
こもってばかりいると気鬱になるばかりで、外に出て立って聞いていると、近くに来ては鳴いてくれるヒグラシよ。
| 鑑賞 |
1476は、小治田朝臣広耳(をはりだのあそみひろみみ:伝未詳)の歌。『万葉集』には2首(もう1首は巻第8-1501)。「ひとり居て」の「ひとり」は、一人二人の一人の意ではなく、他と離れて独りの意。「こゆ」は、ここを通って。「心しあるらし」の「し」は、強意の副助詞。私の恋心を思いやる心があるらしい、の意。恋人に逢えない夜を、独り悶々と過ごしている自分を慰めてくれるホトトギスに感謝している歌です。
1477~1478は、大伴家持が、それぞれ「霍公鳥」「橘」「晩蝉」を詠んだ歌。1477の「卯の花」は、アジサイ科の落葉低木ウツギの花のこと。初夏の頃、ホトトギスの飛来とともに咲くので、取り合わせて詠まれることの多い花です。「佐保」は、家持の邸があった地。「山辺」は、その地の佐保山の辺りのこと。ホトトギスが思いがけずも早く来たのを喜んでいる歌です。
1478の「宿」は、家の敷地、庭先。「いつしかも」は、いつになったら。早く~してほしいの意味を含みます。「玉に貫くべく」とあるのは、五月五日の節句に用いる薬玉(くすだま)のこと。「べく」は、可能の助動詞。「花橘」は「橘」と同じで、日本橘や柑子みかんの類とされており、初夏に咲く花を「花橘」と呼んでいますが、「万両」だとする説もあります。「なりなむ」は、なるのであろうか。端午の節句の到来を楽しみにしている歌です。
1479の「隠りのみ居れば」は、家に引き籠ってばかりいては。「いぶせみ」は「いぶせし」のミ語法で、鬱陶しいので。「晩蝉」は、そのカナカナカナという美しい鳴き声が古来愛されてきた蝉で、6月下旬から7月にかけて発生して他のセミより早く鳴き始め、以後は9月の中ごろまで鳴き声を聞くことができます。鳴く時間帯は基本的に朝夕で、ここは夕方と見られます。鬱屈した気持ちを解き放ってくれるヒグラシの声を聞いた境地を詠んでいるものです。

いぶせし
鬱々とした思いで心が晴れない状態をあらわす形容詞。イブセシのイブはイブカシのイブと同根、セシは「狭(せ)し」であろう。もともとは、古代の物忌みの際に味わう性的な良く欲求不満をともなう心の状態をあらわす言葉とされる。物忌みの期間中は、一切の男女関係は禁じられたから、そうした際に生ずる鬱積した気分をイブセシと呼んだ。イブセシ、またそのミ語法であるイブセミの用例は『万葉集』中に10例見られるが、その半数は大伴家持の作であり、とりわけ家持が好んだ言葉であることがわかる。
~『万葉語誌』から引用
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『万葉集』クイズ
次の歌はいずれも大伴家持の歌です。それぞれの〇の中に当てはまる語を、ひらがなで答えてください。
【解答】 1.もも(桃) 2.かたかご(堅香子) 3.ふなびと(舟人) 4.こし(越) 5.ひばり 6.みかづき(若月) 7.うぐひす(鶯) 8.とこなつ(常夏) 9.うめ(梅) 10.はつはる(初春)
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