| 訓読 |
1516
秋山にもみつ木(こ)の葉のうつりなばさらにや秋を見まく欲(ほ)りせむ
1517
味酒(うまさけ)三輪(みわ)の社(やしろ)の山照らす秋の黄葉(もみち)の散らまく惜(を)しも
| 意味 |
〈1516〉
秋山の紅葉した木の葉が散ってしまったなら、さらにいっそう秋の景色を見たくてならなくなるだろうか。
〈1517〉
三輪山が照り輝くほど紅葉している、その葉の散ってしまうのが惜しいことよ。
| 鑑賞 |
1516は「山部王(やまべのおほきみ)、秋葉(もみち)を惜しむ」歌。山部王は伝未詳で、山前王(忍壁皇子の子)の誤りかともいわれます。「秋葉」は、初唐詩に見える用語を用いたもの。「秋山にもみつ木の葉の」は、秋の山で色づいた木の葉が。「もみつ」は、紅葉する意の動詞。「うつりなば」は、ここは、色が変わって散ってしまったならば、の意。「さらにや」の「や」は疑問の係助詞で、これ以上~だろうか。「見まく欲しりせむ」の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。見たいと思うだろうか。
1517は、長屋王(ながやのおほきみ)の歌。「味酒」は、うまい酒の意。古くは神酒を「みわ」と言ったことから「三輪」にかかる枕詞。4音の不足音句で訓みます。三輪山は、奈良県桜井市の南東にそびえる山で、別に真穂御諸山(まほみもろやま)といいます。上代の三輪の神は皇室の守護神であるとともに、山全体が御神体とされたため、今も本殿はなく、拝殿のみがあります。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。「惜しも」の「も」は感動の終助詞で、あふれ出る惜別の情を表します。この歌は長屋王26歳のころの作とされ、秋の頃に三輪神社に詣でて三輪山の黄葉を讃えた歌です。上4句は、集中光彩を放つとされ、窪田空穂は、「歌柄が大きく、調べがおおらか」、また「おちついているとともに、若い美しさがある」と評しています。
長屋王は高市皇子の長男で、天武天皇の孫にあたります。元明・元正天皇に重用され、藤原不比等が没した後に右大臣に、また、聖武天皇が即位すると、正二位左大臣に昇任しましたが、藤原氏が画策した光明子立后に反対して対立。すると、729年に「長屋王が密かに要人を呪詛して国を倒そうと謀っている」との密告がなされ、長屋王は弁明も許されず、家族とともに自害させられました。妃の吉備をはじめ、膳部王・桑田王・葛木王・鉤取王ら幼少の命も絶たれましたが、同じ子ながら、安宿王・黄文王・山背王らは許されました。彼らは不比等の娘、多比等との間にできた子だったからです。

賀茂真淵の『万葉考』
江戸時代中期の国学者・歌人である賀茂真淵(1697~1769年)の著書には多くの歌論書があり、その筆頭が、万葉集の注釈書『万葉考』です。全20巻からなり、真淵が執筆したのは、『万葉集』の巻1、巻2、巻13、巻11、巻12、巻14についてであり、それらの巻を『万葉集』の原型と考えました。また、その総論である「万葉集大考」で、歌風の変遷、歌の調べ、主要歌人について論じています。
真淵の『万葉集』への傾倒は、歌の本質は「まこと」「自然」であり「端的」なところにあるのであって、偽りやこまごまとした技巧のようなわずらわしいところにはないとの考えが柱にあり、そうした実例が『万葉集』や『古事記』『日本書紀』などの歌謡にあるという見解から始まります。総論の「万葉集大考」には以下のように書かれています。「古い世の歌というものは、古いそれぞれの世の人々の心の表現である。これらの歌は、古事記、日本書紀などに二百あまり、万葉集に四千あまりの数があるが、言葉は、風雅であった古(いにしえ)の言葉であり、心は素直で他念のない心である」。
さらに、若い時に『古今集』や『源氏物語』などの解釈をしてきた自身を振り返り、「これら平安京の御代は、栄えていた昔の御代には及ばないものだとわかった今、もっぱら万葉こそこの世に生きよと願って、万葉の解釈をし、この『万葉考』を著した」と記しています。そして「古の世の歌は人の真心なり。後の世の歌は人の作為である」とし、万葉の調べをたたえ、万葉主義を主張して、以後の『万葉集』研究に大きな影響を与えました。
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古典に親しむ
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