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巻第8(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第8-1520~1522

訓読

1520
彦星(ひこほし)は 織女(たなばたつめ)と 天地(あめつち)の 別れし時ゆ いなむしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波(あをなみ)に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息(いき)づき居(を)らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗(にぬ)りの 小舟(をぶね)もがも 玉巻きの 真櫂(まかい)もがも [一云 小棹(をさお)もがも] 朝なぎに い掻(か)き渡り 夕潮(ゆふしほ)に[一云 夕(ゆふへ)にも] い漕(こ)ぎ渡り ひさかたの 天(あま)の川原(かはら)に 天飛(あまと)ぶや 領巾(ひれ)片敷き 真玉手(またまで)の 玉手さし交(か)へ あまた夜(よ)も 寐(い)ねてしかも [一云 寐(い)もさ寝てしか] 秋にあらずとも[一云 秋待たずとも]
1521
風雲(かざくも)は二つの岸に通へども我が遠妻(とほづま)の [一云 愛(は)し妻の] 言(こと)ぞ通はぬ
1522
たぶてにも投げ越しつべき天(あま)の川(がは)隔(へだ)てればかもあまた術(すべ)なき

意味

〈1520〉
 彦星は織女と、天地が別れた遠い昔から天の川に向かって立ち、思う心は安からず、嘆く心の内も苦しくてならないのに、川に漂う青波に遮られて向こう岸は見えなくなってしまい、白雲に隔てられて、もう涙も涸れてしまった。このように溜息ばかりつき、恋い焦がれてばかりおられようか。赤く塗った小舟でもあれば、玉で飾った櫂でもあれば(一に云う 小さな棹でもあれば)。朝の凪ぎ時に水をかいて渡り、夕方の滿潮時に(一に云う 夕べにも)漕ぎ渡り、天の川原に領巾(ひれ)を床代わりに敷いて、玉のような腕を差し交わし、幾夜も幾夜も寝たいものだ。(一に云う 心ゆくまで寝たいものだ)。七夕の秋でなくとも(一に云う 七夕の秋を待つことなく)。
〈1521〉
 風や雲は天の川の両岸を自由に行き来しているのに、遠くにいる我が妻(一に云う 私の愛しい妻)と、言葉も交わすこともできない。
〈1522〉
 小石を投げても越せそうな天の川なのに、どうしても渡る術がない。

鑑賞

 題詞に「山上憶良が七夕の歌十二首」とあるうちの長歌と反歌2首。天平元年(729年)7月7日に天の川を仰ぎ見て作った歌で、注記には、ある本に、大伴旅人の邸宅で作ったというとあります。この時、憶良は筑前守だったので、九州での作ということになります。

 
1520の「彦星」は、牽牛を日本化した名。「織女」は、棚機つ女の意で、これも日本化したもの。「天地の別れし時」は、天地開闢の時。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「いなむしろ」は、寝(い)な筵(むしろ)の意で、古くは獣皮も用いたところから皮と続け、同音の「川」に掛かる枕詞。「思ふそら」は、思う心。「安けなくに」は、安らかではなくて。「青波」と「白雲」の対比、すなわち青と白との対比は中国文学に好んで用いられるといいます。「望みは絶えぬ」の「望み」は望見の意で、眺めることができなくなってしまった、の意。「さ丹塗の」の「さ」は、接頭語で、赤く塗った。「もがも」は、願望。「い掻き」「い漕ぎ」の「い」は、接頭語。「ひさかたの」は「天」の枕詞。「天飛ぶや」は「領巾」の枕詞。天空を飛ぶ天女が体に絡ませている軽やかな領巾を想像したものか。領巾、女性がは襟から肩にかけた細長い白布。「かくのみや」は、このように~ばかりしてはいられない。「真玉手」の「真」は美称、「玉手」は、美しい手。「あまた夜」は、たくさんの夜。「寐ねてしかも」の「てしかも」は、願望の「てしか」に、詠嘆の「も」が接したもの。

 
1521の「風雲」は、風や雲。「二つの岸」は、天の川を隔てた両岸。「遠妻」は、遠くに住んでいる妻。「言ぞ通はぬ」は、言葉を交わすこともできない。1522の「たぶて」は、つぶて、小石の意。「投げ越しつべき」の「べき」は、可能の意。「隔てればかも」の「かも」は、疑問。「あまた」は、甚だしく。「術なき」は、どうしようもない。
 


こころ(心)

 現代の私たちにとって、ココロはすでに自明なものとして存在しているのかもしれない。手近な辞書を見ると、ココロとは、人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの、またその働きなどと説明されている。だが、古代のココロには相当に深い奥行きがある。古代のココロを探る場合、類似の概念であるタマ(魂)との関係を、どう把握するかが大きな問題となる。

 魂はそれぞれの個体に宿る生命力の本質とされるものをいう。魂または個体にとって、本来的な他者として存在した。魂は容器としての身体に宿り、時としてそこから遊離あるいは分離することができるとされた。魂が身体から完全に分離すると死を招くことになる。

 一方、ココロはどのようなものとされたのか。魂とは違い、ココロは個体に内在する何ものかであると考えられた。むしろ、外界との関係において初めて知覚されるものがココロだった。「心」に接続する枕詞に「群肝(むらきも)の」「肝(きも)向ふ」がある。これは、どうやら、心臓の鼓動を心の動きとして知覚したところに生まれた枕詞であるらしい。

~『万葉語誌』から引用

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人名の下に付く「の・が」

 『万葉集』の歌の題詞や左注の人名の下に付く連体助詞には、「の」と「が」との使い分けが見られます。上掲の歌では「山上憶良が七夕の歌」となっており、他にも「大伴宿禰家持が歌」「大伴坂上郎女が歌」などの例がある一方で、「大津皇子の御歌」「長屋王の歌」「太宰帥大伴卿の和ふる歌」などと記されているものがあります。

 これらの使い分けは相対的であるものの、一般には次のように言われています。すなわち、自分自身や親しい間柄にある相手(親子、兄弟姉妹、夫婦など)や、目下の仲間や愛称の接尾語「ら」の付く者などに対しては「が」が用いられ、そうではない相手、たとえば畏怖すべき、または敬うべき相手(皇族、主君、親など)に対して、または相互に交流のない海人、山人などに対しては「の」が用いられています。別の言い方をすれば、内あつかいの人には「が」、外あつかいの人には「の」を用いているのです。そうした基準に基づいて、編者の立場から使い分けが行われているとされます。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。