| 訓読 |
1523
秋風の吹きにし日より何時(いつ)しかとわが待ち恋ひし君そ来ませる
1524
天の川いと川波は立たねどもさもらひかたし近きこの瀬を
1525
袖振らば見も交(かは)しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば
1526
玉かぎるほのかに見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは
| 意味 |
〈1523〉
秋風が吹き始めたころから、いついらっしゃるかと恋しく思っていたあなたが、今日こそいらっしゃるのです。
〈1524〉
それほど波立つことのない天の川なのに、渡る機会を窺うのは難しい。こんなに近い瀬なのに。
〈1525〉
袖を振ったらお互いに見交わせるほど近いのに、渡る手段がありません、許されている秋にならないので。
〈1526〉
少しお逢いしただけですぐにお別れすれば、無性に恋しく思うでしょう、次にお逢いするまでは。
| 鑑賞 |
1518~1522に続き、題詞に「山上憶良が七夕の歌十二首」とあるうちの4首。左注に、天平2年(730年)7月8日の夜、大宰帥大伴旅人卿の家に集まって作ったとあります。雨が降ったか何かで、この日に延期したものとみられます。4首一群で、逢瀬の時間の経過に従って配列されています。
1523は、逢瀬の日を待ち焦がれていた織女の立場で、牽牛の来訪を迎えて喜ぶ歌。「秋風の吹きにし日より」は、秋風が吹き始めたあの日から。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。「何時しか」は、何時か、早く。「わが待ち恋ひし」は、私が(ずっと)待ち焦がれていた。「恋ひし」も、過去の助動詞「き」の連体形。「君そ来ませる」は、あなたが(ついに)お越しになったのだ。「ぞ〜せる)」の係り結びによって、再会の喜びが強調されています。「来ませる」の「ませ」は尊敬の助動詞「ます」の未然形で、相手への敬意を含んだ表現です。
1524は、彦星の立場の歌で、なかなか逢いに来られなかった嘆きを言ったもの。「いと」は、甚だしく、それほど。下に打消の語(立たねども)を伴って、「それほど〜ない」という部分否定のニュアンスを含みます。「さもらひかたし」の「さもらふ」は「様子をうかがう」「(機会を)待つ」の意。「かたし」は「難しい」。ここでは、川を渡るチャンスをじっとうかがっているが、なかなか踏み切れない、あるいは機会が訪れないもどかしさを表しています。「この瀬を」の「瀬」は渡る場所。「を」は、詠嘆や逆接的な余韻(〜なのに、のになあ)を残す表現です。
1525は、前歌の続きで、彦星が「さもらひかたし」と言った理由を述べたもの。「袖振らば」は、袖を振ったならば。「見も交しつべく」は、(互いに姿を)見交わすことができそうなほど。「つべく」は強意の助動詞「つ」と推量の「べし」の連用形で、「きっと〜できるはずだ」という強い可能性を示します。「近けども」は、(距離はこんなに)近いけれども。「渡るすべなし」は、渡る手段がない、どうしようもない。「秋にしあらねば」は、(まだ)秋ではないので。「し」は、強意の副助詞。
1526は、夜が明け、二人の別れの時が迫った時の織女の心。「玉かぎる」は、玉がほのかに輝く意で「ほのかに」にかかる枕詞。「ほのかに見えて」は、少し逢っただけで。「別れなば」は、別れてしまったなら。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「ば」は順接の仮定条件。「もとなや恋ひむ」は、むやみやたらに恋しく思うことだろう。「もとな」は、わけもなく、いたずらに、ひどく。「や」は疑問・反語の係助詞、「む」は推量の助動詞。

万葉歌の英訳
翻訳者:ピーター・マクミラン
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