| 訓読 |
1532
草枕(くさまくら)旅ゆく人も行き触(ふ)ればにほひぬべくも咲ける萩(はぎ)かも
1533
伊香山(いかごやま)野辺(のへ)に咲きたる萩(はぎ)見れば君が家なる尾花(をばな)し思ほゆ
1534
をみなへし秋萩(あきはぎ)折れれ玉桙(たまほこ)の道行きづとと乞(こ)はむ子がため
| 意味 |
〈1532〉
草を枕に旅行く人も、行きずりに触れでもするなら、衣が染まりそうなほどにに咲き乱れている萩の花よ。
〈1533〉
伊香山の野辺に咲いている萩を見ると、君の家にある尾花が思い出されます。
〈1534〉
女郎花も秋萩も折り取っておきなさい。旅のおみやげは?と言ってせがむ愛しい妻のために。
| 鑑賞 |
1532・1533は、笠金村の「伊香山にして作る歌二首」。「伊香山」は、滋賀県伊香郡の賎ケ岳麓。北近江から越前に向けて旅した時の歌とされ、巻第3-364~365にも塩津山での作があります。1532の「草枕」は、草を枕にする旅の意で「旅」にかかる枕詞。「旅行く人も」は、旅を急ぎ花をめでる余裕のない人も、の意を含んでいます。「行き触れば」は、通り過ぎる際に、体がちょっと触れると。「にほひぬべくも」の「にほふ」は、色づく、色に染まる意で、染まってしまいそうなほどに。萩の赤紫色の花が、あまりに色濃く鮮やかなので、触れただけで衣がその色に染まってしまいそうだ、という予感を表現しています。
1533の「君が家なる」は、君の家にある。「君」は誰のことか分かりませんが、窪田空穂は、「公務の旅で、彼よりも身分の高い人が同行しており、その人をさして詠みかけたものと取れる」と言っています。越前国守として赴任する石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)に従って越前に向かう折の作かもしれず、あるいは、故郷に残る友人に宛てた作との見方もあります。「尾花」は、ススキの花穂。ススキは奈良朝期には庭にも植えられたらしく、尾花を詠むのは多く奈良朝以降の歌に見られます。ススキはそれ以前から詠まれていますが、景物への美的な感覚はススキよりも尾花にいっそう顕著となっています。
1534は、石川朝臣老夫(いしかわのあそみおきな:伝未詳)の歌。『万葉集』にはこの1首のみ。「をみなえし」は、秋の七草の一つで、秋に小粒の黄色の花を咲かせる多年草。原文では「娘子部志」となっており、『万葉集』ではほかに「姫押」「姫部志」「佳人部志」などの字があてられています。この時代にはまだ「女郎花」の字は使われていませんでしたが、いずれも美しい女性を想起させるものです。「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説もあるようです。「折れれ」は「折れり」の命令形。折っておきなさい。「玉桙の」は「道」の枕詞。道の曲がり角や辻などに魔除けのまじないとして木や石の棒柱が立てられていたことによります。「道行きづと」の「道行き」は、旅のこと。「つと」は、みやげ、贈り物。旅の帰途にあって、同行した経験の浅い若い人たちに語りかけた歌、あるいは帰途につく旅人を見送った時の歌でしょうか。その優しい心遣いが窺われ、また、みやげの花を受け取って喜ぶ妻の姿が思い浮かぶようです。

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