| 訓読 |
1570
ここにありて春日(かすが)やいづち雨障(あまつつ)み出(い)でて行かねば恋ひつつぞ居(を)る
1571
春日野(かすがの)にしぐれ降る見ゆ明日よりは黄葉(もみち)かざさむ高円(たかまと)の山
1572
我(わ)が宿(やど)の尾花(をばな)が上の白露(しらつゆ)を消(け)たずて玉に貫(ぬ)くものにもが
1573
秋の雨に濡(ぬ)れつつ居(を)ればいやしけど我妹(わぎも)が宿(やど)し思ほゆるかも
| 意味 |
〈1570〉
ここから見て春日はどのあたりだろう。雨に妨げられて外に出かけないので、ただ恋しく思い続けている。
〈1571〉
春日野にはしぐれが降っているのが見える。明日からは黄葉を挿頭とするのだろう、高円の山は。
〈1572〉
我が家の庭の尾花に付いている白露を、消さずにそのまま玉(真珠)のように緒に貫き通せたらよいのに。
〈1573〉
秋の雨に濡れながらじっとしていると、粗末ながらも妻の住む家が思われてならない。
| 鑑賞 |
1570・1571は、藤原八束(ふじはらのやつか)の歌。藤原八束は、藤原四兄弟の一人、藤原房前(ふじわらのふささき)の第3子で、後に真楯(またて)と改名。天平12年(740年)に従五位下から従五位上となり、右衛士督、式部大輔、左少弁、治部卿などを歴任し、天平勝宝2年(750年)ごろには従四位上、ついで参議、大宰帥に任じられました。最終官位は正三位・大納言。『続日本紀』薨伝に、「度量弘深、公輔の才あり。官にあっては公廉にして慮私に及ばず、聖武天皇の寵愛厚く、詔して奏宣叶納(天皇への奏上と勅旨の伝達)に参ぜしめられ、明敏にして時に誉れあり、その才を従兄仲麻呂に妬まれて病と称し家に籠もって書籍を弄んだ」旨の記載があり、清廉潔白の人物だったことが知られます。また、藤原一族でありながら、大伴家持と親交があったようで、『万葉集』にもそのことが窺える記述があります。また、天平5年ころ、山上憶良の病床にも見舞いの使者を立てています(巻第6-978)。『万葉集』には短歌7首、旋頭歌1首。
1570の「春日」は、奈良市東部の高円山西麓、今の白毫町付近。「いづち」は、どちらの方向。「雨障み」は、雨に濡れることを忌み、家の中に籠ること。「恋ひつつぞ居る」の「居る」は「ぞ」の係り結びで連体形。1571の「春日野」は、春日神社を中心とする一帯。「黄葉かざさむ」の「かざす」は、花や葉の飾りを頭髪に挿す意。ここは比喩的に山が黄葉をかざすと表現したもの。雨と花との関係のように、当時の人たちは、雨は一方では紅葉を促すものと考えていました。「高円の山」は、春日山の南に、谷を隔てて立っている山で、その辺りの連山中の最高峰。従って黄葉の早い山。雨上がりの高円山の美しい紅葉を楽しみに思っている歌です。
1572は、大伴家持の「白露の歌」。「白露(しらつゆ)」は、漢語「白露」の翻読語。ここは、朝日に輝く露。「宿」は、家の敷地、庭先。「尾花」は、ススキの穂。その形が動物の尾に似ていることからこう呼ばれます。秋の七草の一つ。「消たずて」は、消えてしまわないで、すなわち「そのまま」の意。「玉に貫く」は、宝石(真珠や貴石)として糸に通す。「ものにもが」は、願望を表す終助詞。本来はできるはずのない「露の玉を糸に通す」ことを願望する空想の歌です。
1573は、大伴利上(おおとものとしかみ)の歌とあるものの、他には見えず伝未詳。大伴村上(巻第8-1436~1437ほか)の誤りではないかともいわれます。大伴村上は、宝亀2年に従五位下・肥後介となり、同3年従五位上で阿波守となった人。「濡れつつ居れば」は、濡れ続けていると。「つつ」は動作の継続、「居れば」は、〜していると、という条件を表します。「いやしけど」は、ここは建物について言っており、粗末だけれど、むさくるしいけれど、の意。「宿し」の「し」は、強意の副助詞。「思ほゆるかも」は、自然と思い出されることだなあ。「かも」は、詠嘆。作者は雨をしのぐ場所もない所を歩いており、家からそれほど遠くない旅先での歌とされます。

万葉歌の人気ベスト10
第1位
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
~額田王(巻1-20)
第2位
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
~志貴皇子(巻8-1418)
第3位
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
~大伴家持(巻20-4516)
第4位
春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山
~持統天皇(巻1-28)
第5位
田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける
~山部赤人(巻3-318)
第6位
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば
~大伴坂上郎女(巻4-661)
第7位
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
~柿本人麻呂(巻1-48)
第8位
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな
~額田王(巻1-8)
第9位
銀も金も玉もなにせむに優れる宝子に及かめやも
~山上憶良(巻5-803)
第10位
我が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に我が立ち濡れし
~大伯皇女(巻2-105)
~NHK『万葉集への招待』から
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