| 訓読 |
1581
手折(たを)らずて散りなば惜(を)しと我(あ)が思ひし秋の黄葉(もみち)をかざしつるかも
1582
めづらしき人に見せむと黄葉(もみちば)を手折(たを)りぞ我(わ)が来(こ)し雨の降らくに
1583
黄葉(もみちば)を散らす時雨(しぐれ)に濡(ぬ)れて来て君が黄葉(もみち)をかざしつるかも
1584
めづらしと我(あ)が思ふ君は秋山の初黄葉(はつもみちば)に似てこそありけれ
1585
奈良山の嶺(みね)の黄葉(もみちば)取れば散る時雨(しぐれ)の雨し間(ま)なく降るらし
| 意味 |
〈1581〉
手折らずに散らしてしまうのは惜しいと思った秋の黄葉を、今日はこのようにかざしました。
〈1582〉
珍しい方たちにお見せしようと、黄葉を手折って来ました。雨が降っているのも構わずに。
〈1583〉
黄葉を散らす時雨に濡れながらやって参りましたが、その甲斐あって、あなたが手折って下さった黄葉をかざすことができました。
〈1584〉
私がお慕い申し上げているあなた様は、秋の山に色づき始めた黄葉に、本当によく似ていらっしゃいます。
〈1585〉
奈良山の嶺の黄葉は、手に取ればすぐに散ってしまいます。山には時雨が絶え間なく降っているらしく思われます。
| 鑑賞 |
天平10年(738年)10月17日、橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)が宴会を催したときの歌11首のうちの前半の5首。作者は、1581・1582が橘朝臣奈良麻呂。1583が久米女王(くめのおおきみ)、1584が長忌寸娘(ながのいみきのおとめ)、1585が内舎人(うどねり)の県犬養宿祢吉男(あがたのいぬかいのすくねよしお)。橘奈良麻呂は諸兄の子で、この時17、8歳。歌の内容から、雨の日の宴だったことが分かります。
1581の「手折らずて」は、手で折らないで。「散りなば惜しと」は、もし散ってしまったら惜しいと。「我が思ひし」は、私が思っていた。「かざしつるかも」の「かざし」は、冠に挿し、あるいは髪に飾るもので、儀式や宴席で用いられていました。「かも」は、詠嘆の終助詞。主人の奈良麻呂が、客に対する挨拶として詠んだもので、散らしては惜しいもみじをかざしにし得た喜びを歌っています。
1582の「めづらしき人」は、見ることが少ないゆえに心惹かれる人。ここでは久米女王を主に指しているか。「見せむと」は、見せようとして。「手折りぞ我が来し」は、手で折って、私はやって来た。「ぞ〜し」の係り結びとなっており、雨の中わざわざ折ってきたという動作が強調されています。「雨の降らくに」の「降らく」は「降る」のク語法で名詞形。雨が降っているというのに。
1583の「時雨」は、秋から冬にかけて降ったり止んだりする通り雨のこと。紅葉を散らしてしまう冷たい雨という設定です。「君が黄葉」は、君が手折ってきた山のもみじの意。「君」は、宴の主人の奈良麻呂を指します。「かざしつるかも」は、髪飾りにしたことだなあ。作者の久米女王は生没年未詳ながら、奈良麻呂と同世代の皇女だったと想像されます。天平17年(745年)に従五位下になった人で、奈良麻呂の愛人かとも言われます。
1584の「初黄葉」は、その年、最初に色づいた紅葉。宴席に手折ってきたもみじを指しており、色づき始めた「初紅葉」は、若い奈良麻呂に擬するのにふさわしかったと見えます。「似てこそありけれ」は、まさに似ていることだなあ。「こそ〜けれ」の係り結びにより、深い感動を表しています。作者の長忌寸娘は伝未詳、会する10名のうちただ2人の女性であることから、久米女王の侍女だったかと言われます。
1585の「奈良山」は、奈良市北部の丘陵地。「取れば散る」は、手に取ろうとすると(あるいは、手に取るそばから)散ってしまう。「時雨の雨し」の「し」は、強意の副助詞。「間なく降るらし」は、絶え間なく降っているらしい。「らし」は客観的な根拠に基づく推定の助動詞で、目の前の散りゆく紅葉を見て、山の上で雨が降っていることを確信している表現です。作者の県犬養宿祢吉男は、天平宝字2年(758年)従五位下、同3年に肥前守、同8年に伊予介などを歴任した人。この時の役職「内舎人」とは、帯刀して宮中の宿直、警備などにあたる中務省の役人。出世を求める貴族の子弟がこの役に就きました。

橘奈良麻呂
橘諸兄の子。母は藤原不比等の娘多比能。室は大原真人明娘で、子に島田麻呂、清友、安麻呂、入居らがいる。天平8年(736年)父、叔父の佐為王らとともに橘宿禰 の姓を賜わる。同12年従五位下、天平勝宝6年(754年)正四位下、次いで兵部卿、天平宝字元年(757年)右大弁となった。同年6月から7月にかけて、大伴氏、佐伯氏などと結び、権臣藤原仲麻呂を除き、皇太子大炊王を廃し、黄文王を立てようとの企てが、山背王、上道臣斐太都(ひだつ)らにより相次いで密告され、ついに誅せられたとも、流されたともいう。のち承和14年(847年)年10月、太政大臣正一位を追贈された。この贈位は仁明天皇の生母橘嘉智子の縁によるとされる。『万葉集』に短歌3首所載。
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