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巻第8(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第8-1600~1605

訓読

1600
妻恋(つまご)ひに鹿(か)鳴く山辺(やまへ)の秋萩(あきはぎ)は露霜(つゆしも)寒(さむ)み盛り過ぎゆく
1601
めづらしき君が家(いへ)なる花すすき穂(ほ)に出(い)づる秋の過ぐらく惜(を)しも
1602
山彦(やまびこ)の相(あひ)響(とよ)むまで妻恋(つまご)ひに鹿(か)鳴く山辺(やまへ)に独(ひと)りのみして
1603
このころの朝明(あさけ)に聞けばあしひきの山呼び響(とよ)めさを鹿(しか)鳴くも
1604
秋されば春日(かすが)の山の黄葉(もみち)見る奈良の都の荒(あ)るらく惜(を)しも
1605
高円(たかまと)の野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)このころの暁露(あかときつゆ)に咲きにけむ

意味

〈1600〉
 妻を恋い慕って牡鹿が鳴く山辺の秋萩は、露霜の寒さに盛りを過ぎ色褪せていく。
〈1601〉
 親愛なるあなたの家の花すすきがいっせいに穂を出している秋、その秋が過ぎ去ってゆくのが惜しくてならない。
〈1602〉
 やまびこが響き合うほどに、妻を求めて鹿が鳴き立てる山辺に、この私もたった一人だけでいて。
〈1603〉
 このごろの明け方に聞くと、山に呼びかけ響かせて牡鹿が鳴くことだ。
〈1604〉
 秋がやってくるといつも春日の山の美しい黄葉が見られた奈良の都。その都が荒れ果てていくのが惜しまれてならない。
〈1605〉
 高円の野辺の萩の花は、この幾日かに降り出した明け方の露で、もう咲いたことだろう。

鑑賞

 1600・1601は、石川広成(いしかわのひろなり)の歌。天平15年(743年)頃に内舎人(うどねり)、内舎人は天皇に近侍して警備などに従事した役職。天平宝字2年(758年)8月に従六位上から従五位下、この頃但馬介。同4年2月に高円朝臣を賜姓された人で、『万葉集』には3首の歌が残っています(あと1首は巻第4-696)。

 ここの歌は天平15年(743年)秋、恭仁京にあっての作とされます。
1600の「露霜」は、露と霜、または露が凍って霜のようになったもので、冷え冷えとした露を表現する歌語。「寒み」は「寒し」のミ語法で、寒いので。秋の山野における自然現象を通して、衰退へ向かう季節感と哀愁を表現した典型的な秋の叙情歌であり、結句の「盛り過ぎゆく」では、作者は明確に「盛り」を過去のものとして捉えています。萩の花が最盛期を過ぎていくという自然描写は、そのまま恋の高まりや人生の一時期が過ぎ去っていくことへの無言の暗示とも読めます。直接的な感情告白を避けつつ、鹿・萩・露霜という自然要素を連ねることで、深い無常観と哀感を生み出している点が本歌の特色で、自然と心情とを緊密に結びつけた完成度の高い一首となっています。

 
1601の「めづらしき」は親愛なる、懐かしい。「君」は、友のこと。「めづらしき君が家なる」の詠み起こしは、作者と「君」との親密な関係と同時に、頻繁には訪れ得ない距離感が暗示されています。この「めづらしき」は、場所の希少性でもあり、相手そのものの大切さをも含意する語となっているものです。「花すすき」は薄(すすき)の穂を花に見立てての称ながら、この用例は集中この1首のみです。山野に群生して風になびく姿や、萩や月とともに眺める薄の風情は古くから愛され、尾花や萱などの呼称も合わせると、薄は『万葉集』に46首も詠われています。下句の「秋の過ぐらく惜しも」は、季節そのものの経過を惜しむ表現であると共に、その背後には、「君が家」に滞在し、共に過ごす時間が終わってしまうことへの名残惜しさが重ねられています。秋の短さと、親しい友と過ごすひとときの儚さとが重層的に響き合い、自然詠を装いながらも、実質的には対人的感情を内包した歌となっています。

 1602・1603は
大伴家持の歌で、天平15年(743年)秋8月16日に詠んだ「鹿鳴の歌」。1602の「山彦の相響むまで」は、やまびこが反響するまでに。「独りのみして」は、奈良に残している妻の大嬢を思って言っているのでしょうか。1603の「あしひきの」は「山」の枕詞。「朝明(あさけ)」は、アサアケの約。独り寝の浅い眠りから覚めて聞く、朝方の妻呼ぶ鹿の鳴き声を詠んだ歌。なお、8月16日は、家持が恭仁京讃歌(1037)を詠んだ日と同じであり、この日が何か特別な日ではなかったかとの見方があります。国文学者の小野寛は、その席に主としていたのは安積皇子(あさかのみこ)であり、恭仁京郊外の活道(いくじ)山で安積皇子が若者たちを引き連れて勇壮な狩をした後の宴で歌われたものではないかと推測しています。

 
1604は、大原真人今城(おおはらのまひといまき)の「奈良の故郷を傷惜(いた)む」歌。「奈良の故郷」は、平城の旧都の意で、聖武天皇が天平12年(740年)12月から同17年9月まで平城京を離れたため、都は荒廃したのでした。大原真人今城は、大伴女郎の子。もと今城王で、臣籍降下して大原真人姓となった人。天平宝字元年(757年)従五位下、同8年、従五位上、その後、藤原仲麻呂の乱に連座してか無位となり、宝亀2年(771年)従五位上に復し、兵部少輔、駿河守等を歴任しました。『万葉集』には、13首。「秋されば」は、秋が来るといつも。「さる」は、移動することを言い表す語で、遠ざかる場合だけでなく、近づく動きについても用います。「春日の山」は、奈良市東方にある、春日山、御蓋山、若草山などと呼ばれる山々の総称。「奈良の都」の「都」は、原文「京師」で、ミヤコを表す漢語。「荒るらく」は「荒る」のク語法で名詞形。天平15年秋または同16年秋の作と見られます。

 
1605は、大伴家持の歌。「高円山」は、奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の標高462mの山。聖武天皇の時代には、狩りが行われたり、季節の野遊びが行われたりしていました。「暁露」は、明け方の露で、漢詩の詩語を翻読した歌語。「咲きにけむかも」の「けむ」は、過去推量、「かも」は、詠嘆。恭仁京にあって、故郷の奈良を思って詠んだ歌です。

 なお、この年の10月15日、
聖武天皇は紫香楽宮にあって毘盧遮那(びるしゃな)大仏建立の詔勅を発しました。聖武天皇はかねて華厳経(けごんきょう)に惹かれており、毘盧遮那仏はその華厳経の教える極楽浄土をあまねく照らす本尊でした。その大仏を造りたいというのは天皇の長らくの念願であり、国民の自発的な参加によって同志を集め、国中の銅を使って鋳造し、この世に仏を招致してその加護を求めようというものでした。そして大仏を安置する場所を紫香楽宮に近い地に定め、整地が始まりました。この年の東海・東山・北陸三道25国の調庸はすべて紫香楽宮に入れさせ、紫香楽宮はさながら都の賑わいを呈していました。この年の暮れ、それまで4年かけてきた恭仁京の建設は停止されることとなります。
 


恭仁京

 聖武天皇が天平12年(740年)~同15年(743年)まで営んだ都。「久邇京」とも。正式名称は「大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)」。その後、都は、天平15年に紫香楽宮、同16年(744年)に難波宮へ遷都され、同17年(745年)に平城京に戻されました。恭仁京は、相楽郡恭仁郷の地に位置していたことによる命名。都城制にのっとった宮都で、内裏や官公庁などの宮殿は左京、人民が住む京域は右京に建設する計画で造営が進められていましたが、道半ばで都の造営は中止されました。

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古代の臣籍降下

 律令の規定では、皇族(当時の言葉では「皇親」)の範囲を、歴代の天皇からの直系の代数で規定しており、四世(直系の4代卑属、以下同)までは王あるいは女王と呼ばれ、五世王は皇親とはならないものの王号を有し従五位下の蔭位を受け、六世目からは王号を得られないものとされた(もっとも、慶雲3年(706年)2月の格で変更あり)。そのため、歴代天皇から男系で一定の遠縁となった者は順次臣籍に入るものとされた。

 しかし、平安時代前期の皇室が多くの皇子に恵まれると、規定通りに解釈した場合の四世以内の皇族が大量に発生することになり、しかもそのほとんどが皇位継承の可能性が極めて低い状態になった。また、皇族の中には国家の厚遇にかこつけて問題を起こす者もいた。これらの皇親に対しても律令の定めにより一定の所得が与えられることで財政を圧迫する要因となったため、皇位継承の可能性がなくなった皇親たちは、五世になるのを待たずに、臣籍降下をさせる運用が始まった。特に桓武天皇は一世皇親3名を含む100名余りに対して姓を与えて臣籍降下を行った。嵯峨天皇はじめ、以降の天皇も多くの子女を儲け、その多くが一世で臣籍降下した。

 また、この頃になると、皇族が就任できる官職が限定的になり、安定した収入を得ることが困難になったため、臣籍降下によってその制約を無くした方が生活が安定するという判断から皇族側から臣籍降下を申し出る例もあった。だが、臣籍降下して一、二代ほどは上流貴族として朝廷での地位を保証されたが実際には三代以降はほとんどが没落して地方に下向、そのまま土着し武士・豪族となる例が多かった。

 臣籍降下した元皇族は、新たに氏および姓(かばね)を下賜されて、一家を創設することが多かった(皇親賜姓、こうしんしせい)。一方で、臣下の養子(猶子)となる形で臣籍に降下する例もあった(皇別摂家)。

 なお、臣籍降下に際して、諱については、王号が除かれるのみで改めないのが通常であるが、葛城王(橘諸兄)から諸兄、以仁王から以光などのように改める事例もある。古来は、多様な氏が与えられていたが、平安時代に入ると、源氏および平氏のいずれかを与えるのが常例化する。(~Wikipediaから引用)。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。