| 訓読 |
1627
我(わ)が宿(やど)の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹(いも)が笑(ゑ)まひを
1628
我(わ)が宿(やど)の萩(はぎ)の下葉(したば)は秋風もいまだ吹かねばかくぞもみてる
1629
ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為(せ)むすべもなし 妹(いも)と我(あ)れと 手(て)携(たずさ)はりて 朝(あした)には 庭に出(い)で立ち 夕(ゆうへ)には 床(とこ)打ち払ひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)さし交(か)へて さ寝(ね)し夜(よ)や 常(つね)にありける あしひきの 山鳥(やまどり)こそば 峰(を)向かひに 妻問(つまど)ひすといへ うつせみの 人なる我(あ)れや 何すとか 一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も 離(さか)り居(ゐ)て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ故(ゆゑ)に 心なぐやと 高円(たかまと)の 山にも野にも うち行きて 遊びあるけど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲(しの)はゆ いかにして 忘れむものそ 恋といふものを
1630
高円(たかまと)の野辺(のへ)の容花(かほばな)面影(おもかげ)に見えつつ妹(いも)は忘れかねつも
| 意味 |
〈1627〉
私が家の庭に、季節はずれの藤が咲きました。珍しいその美しい藤のような、愛しいあなたの笑顔を、今すぐにも見たいものです。
〈1628〉
我が家の庭の萩の下葉は、まだ秋風も吹かないのに、もうこんなに色づきました。
〈1629〉
つくづく物を思うと、何と言ってよいか、どうしてよいか分からない。あなたと私と手を取り合って、朝方には庭に降り立ち、夕方には床を清めては、袖を交わし合って共寝した夜が平常のことであっただろうか。あの山鳥は、谷を隔てた峰に向かって妻問いするというのに、人間である私は、何だって一日一夜を離れているだけで、あなたを思って嘆き恋うのか。これを思うと胸が痛い。心を慰めようと、高円の山や野に出かけて遊び歩くものの、花ばかりが美しく咲いていて、それを見るたびに、いっそう思いはつのる。いったいどうしたら忘れることができるのだろうか、この恋の苦しみを。
〈1630〉
高円の野辺に咲くかお花を見ると、あなたの面影がちらついて、忘れようにも忘れられない。
| 鑑賞 |
1627・1628は、大伴家持の歌。家持と坂上大嬢が竹田の庄で再会した翌年の天平12年(740年)夏6月、家持が季節はずれの藤の花と萩の黄葉をよじり折って、坂上大嬢に贈ったもの。1627の「宿」は、家の敷地、庭先。「時じき藤」は、本来の花期ではない時季に咲いた藤。上2句は、「時じき藤」は愛でるべきものであることから「めづらしく」を導く序詞。「めづらしく」は、珍しく愛らしいものとして。季節外れの藤の希少性を強調すると同時に、作者にとっての「妹」の存在がかけがえのないものであることを暗示しています。「今も見てしか」の「今も」という語は、時間の隔たりを超えてなお続く思慕を示し、現在における欠如感をいっそう際立たせています。「てしか」は、願望。「笑まひ」は、笑顔。窪田空穂は、「これは贈物に添える歌という儀礼の心の全くないもので、歌のほうに贈物を添えた形のものである」と言っています。
1628の「吹かねば」は、吹かないのに。「かくぞ」は、このように、こんなに。「もみてる」は、色づく意の「もみつ」の未然形に完了の助動詞「り」の連体形がついて、上の「ぞ」の係り結びとしたもの。我が家の庭に植えられた萩の下葉の紅葉を詠み、季節の移ろいに対する繊細な観察眼を示した叙景歌となっています。「下葉」に視線を向けている点に、作者の細やかな自然観照が窺え、花ではなく下葉の色づきに注目することで、季節が静かに、しかし確実に進行していることが暗示されています。劇的な情感に訴えることなく、静かな自然観照によって季節の微妙な転換点を描き出しているものです。
1629・1630は、家持が坂上大嬢に贈った歌1首併せて短歌。作歌の時期は不明で、すでに二人は夫婦関係になっているものの、家持の多忙のためか、あるいは二人の間に何らかの障害があったのか、同棲できない嘆きを訴えています。この時、家持は内舎人として恭仁京におり、大嬢は平城京にいたようです。
1629の「ねもころに」は、念入りに、心を込めて。「言はむすべ」は、物を言う手だて。「床打ち払ひ」は、敷き通しにしてある床の塵を払う意。「白栲の」は「袖」の枕詞。「白栲」は、楮(こうぞ)の類の樹皮からとった繊維、またはそれで作った白布のこと。「袖さし交へて」は、袖を交わし合って、手枕をし合って。「さ寝し夜や」の「さ」は接頭語、「や」は疑問。「常にありける」は、平常にあっただろうか。「あしひきの」は「山鳥」の枕詞。「山鳥こそば峰向かひに妻問ひす」は、雄鳥と雌鳥と、谷を隔てて向かい合っている峯と峯とにいて、夜を相逢う意。山鳥の習性として言っているもので、集中にはここにあるのみですが、平安朝には例が少なくなく、古くからの言い伝えだったとみえます。「云へ」は、後世の「云へど」の古格。「うつせみの」は「人」の枕詞。「心なぐや」は、心を慰められるか。「高円」は、奈良市東南の高円山一帯。「うち行きて」の「うち」は、接頭語。「にほひてあれば」は、美しく色づいているので。「偲はゆ」の「ゆ」は、自発。慕わしい気持ちになる。歌の内容から、家持は、朝は二人が手に手を取って庭で遊び、夜は袖を重ねて共寝をするのが、理想の夫婦生活だと考えていたことが窺えます。
ただ、この長歌について窪田空穂は次のように批評しています。「内容としては長歌形式をかりる必要のないもので、長歌としたのは家持の興味からであろう。一首の歌として見ると、構成は整然としており、・・・用意あるものであるが、このことは半面からいうと、平板で作為的だということで、長歌としては致命的なことである。しかし全体が抒情で貫いたもので、家持の正直な心をも言い続けているので、それによって救われているのである。若き日の家持の、長所と短所とがあらわに出ている作である」。
1630の「容花」はどの花であるか未詳で、昼顔、朝顔、杜若、むくげなどの説や、単に美しい花という説があります。『万葉集』に容花が詠まれた歌は4首あり、「貌花」とも書かれています。国語学者の大槻文彦が明治期に編纂した国語辞典『言海』によれば「かほ」とは「形秀(かたほ)」が略されたもので、もともとは目鼻立ちの整った表面を意味するといいます。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。「忘れかねつも」の「かね」は、~しようとしてできない意を表します。

うつせみ
この世の人、現世の人、現世を意味する語。その語源は、ウツシオミ(現し臣」とされる。ウツシオミのウツシ(現し)は神の世界に対する人間世界の形容、オミ(臣)はキミ(君)に対する語で、神に従う存在をいう。このウツシオミがウツソミと縮まり、さらにウツセミに転じたものである。かつては「現身(うつしみ)」が語源と考えられたが、ウツセミの「ミ」は上代特殊仮名遣の甲類であり、乙類の「身」とは合わないため認められない。
ウツセミは、現世において、人間を神に仕える存在と捉える観念に基づく語である。そのことは、「雄略記」に載る、語源となったウツシオミの語から確認できる。天皇が葛城山に百官を引き連れて登ると、向かいの山に自分たちと全く同じ装いで同じ行動をとる一行が現れた。立腹した天皇が誰何すると、相手は葛城の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)だと名乗る。恐れ畏まった天皇が神に述べた一言が「恐(かしこ)し。我が大神。うつしおみに有れば、覚(さと)らず」である。これは天皇が神に不覚を詫びる発言であり、ウツシオミは幽界の神に対して、自らを顕界の臣下である人間と卑下した言葉となっている。
~『万葉語誌』から引用
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