| 訓読 |
1648
十二月(しはす)には沫雪(あわゆき)降ると知らねかも梅の花咲く含(ふふ)めらずして
1649
今日(けふ)降りし雪に競(きほ)ひて我(わ)がやどの冬木(ふゆき)の梅は花咲きにけり
1663
沫雪(あわゆき)の庭に降りしき寒き夜を手枕(たまくら)まかず独(ひと)りかも寝む
| 意味 |
〈1648〉
十二月には泡雪が降ることを知らないからだろうか。梅の花がちらほらと咲き始めた。蕾のままでいないで。
〈1649〉
今日降った雪の白さに負けまいと、わが家の冬枯れの梅の木が花を咲かせた。
〈1663〉
沫雪が庭に降り続く、寒い夜です。それなのにあなたの手枕をすることもなく、一人で寝るのでしょうか。
| 鑑賞 |
1648は、紀少鹿女郎(きのをしかのいらつめ)の梅の歌。紀少鹿は、紀小鹿と同じ。紀朝臣鹿人(きのあそみかひと)の娘で、志貴皇子の孫の安貴王(あきのおおきみ)の妻だった女性。夫の安貴王の八上采女事件に際し怨恨歌(巻第4-643~645)を残し、この事件後に安貴王と離別し、大伴家持との交流が始まったとされます。『万葉集』には12首。
「沫雪」は、はらはらと降る泡状の雪。「知らねかも」は「知らねばかも」の略。「か・も」は疑問の係助詞で、「咲く」が結びの連体形。「含めらずして」の「ふふむ」は、植物が蕾を孕む意。季節外れの12月に咲いてしまった梅の花を憐れみいとおしんでいる歌です。梅と雪を詠む歌群の末尾近くに置かれている歌であり、これまでの諸歌が、雪と梅の取り合わせを視覚的・身体的に味わってきたのに対し、本歌では季節認識そのものに目が向けられ、自然の摂理に対する違和感と問いが主題化されています。また「梅の花」に女を、「沫雪」に誠意のない男を連想しての、相聞の歌に近いものであるともされます。
1649・1663は、大伴家持の歌。1649は「雪梅(せつばい)の歌」。「雪梅」は、雪中の梅の意。「雪に競ひて」は、雪の白さに負けまいと競って。「我がやど」の「やど」は、家の敷地、庭先。「冬木」は、冬枯れの木。1648番歌まで続いてきた梅と雪の歌群の結末に位置づけられる一首であり、雪とともに訪れた春の兆しが主題になっています。これまで詠まれてきた雪は、梅の代替、見立て、鑑賞の対象でしたが、本歌では梅と「競ひ」合う存在として描かれ、季節の主役交代が劇的に表現されています。注目すべきは、「今日降りし」という時間の限定です。長く待たれた春が、「今日」という一点に凝縮され、前歌までの「待つ」時間の蓄積があってこそ、効果的に機能する表現となっています。
1663の「沫雪」は、はらはらと降る泡状の雪。「手枕」は、腕を枕にすることで、共寝に関して言われることが多い語。「かも寝む」の「かも」は、疑問的詠嘆。雪を題材としながらも、これまでの梅・雪歌群とは異なり、明確な恋情・孤独感を前面に押し出した一首です。単身赴任で恭仁京に住んでいた頃の歌でしょうか。

まくら(枕)
枕の材料には色々なものが用いられていたらしく、『万葉集』を見ても、薦枕(こもまくら)、菅枕(すがまくら)、木枕(こまくら)、黄楊枕(つげまくら)、石枕などが出てくる。石枕は七夕歌(巻第10-2003)にその例が見え、川原の石を枕にしたことがわかる。固くてとても眠れないようにも思われるが、後代には陶枕の例もあるから、旅寝などでは、こうした石枕も用いられたのだろう。木枕も固いが、これはかなり愛用されたらしい。黄楊枕はその一例。
「草枕」は「旅」に接続する枕詞である。野宿の際、文字通り草を束ねるなどして枕にしたのが、その起源だろう。「手枕」は「巻く」とあるように、共寝において互いの首に腕(手本=手首)を巻きつけて抱き寝することをいう。この抱擁の姿勢は、双体道祖神に特徴的に見られる。
マクラの語源については、「巻く」と結びつけ、マキクラ(巻き座)の約と見る説がある。クラは、一段高い座の意。本居宣長も「枕は、物を纏(まき)て、頭を居(すゑ)る座とせるよしの名なり」(『古事記伝』)と述べて、マキクラの約であることを認めている。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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