| 訓読 |
1652
梅の花(はな)折(を)りも折らずも見つれども今夜(こよひ)の花になほ如(し)かずけり
1659
真木(まき)の上(うへ)に降り置ける雪のしくしくも思ほゆるかもさ夜(よ)問(と)へ我(わ)が背(せ)
1660
梅の花散らすあらしの音のみに聞きし我妹(わぎも)を見らくしよしも
| 意味 |
〈1652〉
梅の花は、手折っても、また手折らないままにも見たけれど、今夜見るこの花にはやはり及びません。
〈1659〉
真木の上に降り積もる雪のように、絶え間なくあなたのことが思われてなりません。今夜いらして下さい。
〈1660〉
梅の花を散らすあらしの音のように、噂にだけ聞いていたあなたにお逢いできた嬉しさよ。
| 鑑賞 |
1652・1659は、他田広津娘子(おさたのひろつめのおとめ)の歌。他田広津娘子は伝未詳ながら、大伴家持の愛人の一人ではないかともいわれます。『万葉集』にはここの2首のみ。1652の「折りも折らずも」は、手に折っても、また折らず木のままにも。「見つれども」の「つる」は完了で、「すでに十分見てきた」という含意を持ちます。「なほ如かずけり」は、やはり及ばない、の意で、過去のどの梅の花よりも、今夜の花が優れていると言っています。「けり」は、気づきの詠嘆。挨拶の歌らしくありますが、梅花をめぐる一連の歌の中でも、自然鑑賞の哲学的深化を示す一首といえ、対象そのものの如何よりも、「いつ・どのように見るか」が美の価値を決めるという洞察が、簡潔な言葉で示されています。作者の、今この瞬間にある最上の価値を感じ取った感性が鮮やかであり、自然への鋭敏な感性を持つ人だったと推察されます。
1659の「真木」は、檜や杉など良質の木材になる木。「降り置ける」は、降り積もっている。動きの止まった状態が強調されています。上2句は、その降り重なる意で「しく」を導く序詞。「しくしくも」は、しきりに、絶え間なく。「さ夜問へ」の「さ」は、接頭語で、今夜いらして下さい、の意。静かに積もる雪に重ねられた思いを歌った歌です。「しくしくも」という副詞が効果的で、激しい恋ではなく、持続する思い、抑えられた感情が強調され、雪景の静謐さとよく呼応しています。結句の「さ夜問へ我が背」によって、内面に抑えられていた感情が初めて外に向かって開かれます。自然描写から直接的な呼びかけへと転じる構成は、『万葉集』の恋歌に典型的な展開ですが、簡潔で柔らかな結句から、祈りのように響く印象的な恋の歌となっています。
1660は、大伴宿祢駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)の歌。大伴駿河麻呂は、壬申の乱の功臣である大伴御行の孫ともいわれ(父は不詳)、天平15年(743年)に従五位下、同18年に越前守、天平勝宝9年(757年)の橘奈良麻呂の変に加わったとして、死は免れるものの処罰を受け長く不遇を託ち、のち出雲守、宝亀3年に陸奥按察使(むつあぜち)、陸奥守・鎮守将軍として蝦夷(えみし)を攻略、同6年に正四位上・参議に進みました。宝亀7年(776年)に亡くなり、贈従三位。『万葉集』には短歌11首、勅撰歌人として『続古今和歌集』にも一首の短歌が載っています。また、大伴宿奈麻呂と坂上郎女との間の娘、二嬢(おといらつめ)と結婚しています。
「あらし」は、今の「嵐」というより、山から吹き降ろす風や、冬の北風を指しているとされます。上2句は、その音と続いて「音」を導く序詞。「音のみに聞きし」の「音」は、噂、評判の意。噂にばかり聞いていた、という意味。当時の慣用句で、まだ見ぬ相手への恋心を表現する際によく使われます。「見らくしよしも」の「見らく」は「見る」のク語法で名詞形。「し」は、強意の副助詞。「よしも」は、良いことだ、うれしいことだ、の意。全体で、実際に会うことができて、本当によかったという強い感動を表します。この歌も二嬢のことを言っているものと見えます。

ク語法とは
用言(動詞や形容詞)の語尾に「く(らく)」を付けて、全体を名詞のように扱う表現のこと。主に古典日本語に見られ、「~すること」「~ところ」「~もの」といった意味を表します。「言はく」「語らく」「老ゆらく」「悲しけく」「散らまく」などがその例で、現代語においても「思わく(思惑は当て字)」「体たらく」「老いらく」などの語が残っています。
ク語法は、中国の漢文を日本語として読む際、名詞節を構成するために重宝されました。荘重で改まった響きを持つため、格調高い歌や祝詞(のりと)などにも多く見られます。名詞化することで、自分の感情を客観的に提示し、それを強調する効果があります。言わば、言葉を「動詞(動くもの)」のままにせず、一瞬止めて「名詞(形あるもの)」として差し出すようなイメージです。
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