| 訓読 |
1653
今のごと心を常に思へらばまづ咲く花の地(つち)に散らめやも
1655
高山の菅(すが)の葉しのぎ降る雪の消(け)ぬと言ふべしも恋の繁(しげ)けく
1662
淡雪(あわゆき)の消(け)ぬべきものを今までに流らへぬるは妹(いも)に逢はむとぞ
| 意味 |
〈1653〉
今のように変わらぬ心をいつも持ち続けているかぎり、他の花にさきがけて咲く梅の花のように、地に散り落ちることがありましょうか、ありはしません。
〈1655〉
高山に生えた山菅を押し伏せて降る雪がやがて消えてしまうように、私も息も絶えてしまったと言ったらよいほどです、恋の尽きない苦しみは。
〈1662〉
淡雪のように消えてしまいそうな命なのに、こうして生きながらえているのは、あなたに逢いたい一心からです。
| 鑑賞 |
1653は、県犬養娘子(あがたのいぬかひのをとめ)の「梅に依(よ)せて思ひを発(おこ)す歌」1首。県犬養娘子は、伝未詳。『万葉集』にはこの1首のみ。「今のごと」は、今のように。「心を常に思へらば」の「心を思ふ」は、心を持つ意で、ここは恋情や誠意を変わらず保つことを意味しています。「まづ咲く花」は、春、他の花にさきがけて咲く梅の花のこと。恋の初期、あるいは関係が最も瑞々しい段階を象徴しています。「地に散らめやも」の「や」は反語で、散ろうか、散りはしない。花が散ることは、愛の衰え、心変わり、関係の終焉を暗示するものです。なお、原文「地尓將落八方」で、「地に落ちめやも」と訓むものもあります。うら若い女性の、初恋の不安を梅の花に寄せて詠んだ歌であり、『万葉集』に多く見られる花の譬喩の中でも、本歌は特に心理の微妙な揺れを、簡潔な構文で的確に捉えているものと評されます。
1655は、三国真人人足(みくにのまひとひとたり)の歌。「真人」は姓(かばね)。慶雲2年(705年)従五位下、養老4年(720年)正五位下。『万葉集』にはこの1首のみ。「高山の菅の葉」は、菅は山野に生える細長い葉をもつ植物で、寒冷地にも耐えます。ここでは厳しい自然環境の象徴として言っており、恋の置かれた困難な状況を暗示しています。「しのぐ」は、押し伏せる意。上3句は、意味で「消ぬ」を導く序詞。「消ぬと言ふべしも」の「消ぬ」は、雪が消えてしまう意と息(命)が絶える意とを兼ねて表しており、息も絶えてしまったと言ったらよいほどに、の意。「繁けく」は「繁し」のク語法で名詞形。抑えがたく増幅していく恋情を表しています。
1662は、大伴田村大嬢が、異母妹の坂上大嬢に贈った歌1首。「淡雪の」は、消えやすい淡雪のようにで、「消ぬ」の枕詞。あるいは譬喩として第4句までかかるとする見方もあります。「消ぬべきものを」の「ものを」は、逆接。「今までに流らへぬるは」は、今まで生き続けているのは。「流らふ」は「淡雪」の縁語。田村大嬢が何かの病気にかかった時に詠んだものか、または坂上大嬢が病気見舞に行った時に、相対していて詠んだ歌でしょうか。あるいは坂上大嬢に逢いたい気持ちを大げさに言ったものか。
異母姉妹は離れて暮らす場合が多いので疎遠になるものですが、田村大嬢と坂上大嬢は、たいそう仲がよかったようです。作家の田辺聖子は、「仲よしの情を歌で表現すると、さながら恋歌のような体裁をとる。田村も坂上も、大伴一族の女性らしく歌才があった。才たけて美しい少女同士、互いにあこがれを抱き合っていたのかもしれない。のちに坂上大嬢は、家持の正妻となるが、まだ本物の恋にめぐりあっていないころ、姉妹は仲のいい相手に疑似恋愛をしていたのかもしれない」と述べています。
ところで、「大嬢(おほいらつめ)」とは同母姉妹の中での長女のことを言います。坂上郎女は大伴宿奈麻呂との間に2人の娘をもうけましたが、その長女を「大嬢」と言い、次女を「二嬢(おといらつめ)」と言っています。宿奈麻呂は先妻との間に田村大嬢をもうけており、田村大嬢にも「大嬢」とあるのは、先妻との間に生まれた長女だったからです。そして、この田村大嬢の方が坂上大嬢より先に生まれていることが、巻第4-756の題詞「大伴の田村家の大嬢、妹(いもひと)坂上大嬢に贈る歌」によって分かります。

『万葉集』に詠まれた植物
1位 萩 142首
2位 こうぞ・麻 138首
3位 梅 119首
4位 ひおうぎ 79首
5位 松 77首
6位 藻 74首
7位 橘 69首
8位 稲 57首
9位 すげ・すが 49首
9位 あし 49首
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