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巻第8(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第8-1658

訓読

我が背子(せこ)と二人見ませば幾許(いくばく)かこの降る雪の嬉(うれ)しからまし

意味

この美しく降った雪を、お二人で眺めることができましたら、どんなにか嬉しいことでしたでしょう。

鑑賞

 光明皇后が、聖武天皇に奉られた御歌で、冬の相聞に入れられています。「見ませば~嬉しからまし」の「ませば~まし」は、反実仮想(もし・・・だったら~だろうに)。「幾何か」は、どれほど、どんなに。「この降る雪」は、目前に降っている雪で、独り美しく降る雪を見つつ、不在の夫への思慕を切々と伝え、呼びかけています。どのような背景で詠まれたものかは不明ですが、大らかで気品あふれる甘えぶりで、天平の華ともいうべき光明皇后の美貌さえ彷彿とするような御歌です。また、激しい恋情を詠む恋歌が多い中にあって、本歌は「ともに見ること」の価値を静かに浮かび上がらせ、読後に深い余情を残す点で高く評価されます。

 この御歌について
斉藤茂吉は、「斯く尋常に、御おもいのまま、御会話のままを伝えているのはまことに不思議なほどである。特に結びの、『嬉しからまし』の如き御言葉を、皇后の御生涯と照らしあわせつつ味わい得ることの多幸を、私等はおもわねばならぬのである」と述べています。『万葉集』では、雪を詠んだ歌は月や風に次いで多く、156首を数えます。この時代、大和の国でも雪に囲まれることが多かったのかもしれませんが、雪の珍しさのゆえに感心の度が深かったということもいえましょう。

 
光明皇后藤原不比等の娘で、名は安宿媛(あすかひめ)。皇族以外から初めて皇后になった人で、病人や孤児のために施薬院や悲田院を設け、病人の体についた垢を自ら洗い落としたり、ライ病患者の膿を口で吸い取ったりしたという逸話もあります。興福寺の五重塔・西金堂や、新薬師寺、国分寺の設置など、多くの事業に参画したともいわれ、聖武太上天皇の崩御に際しては、遺品を東大寺に寄進し、それらは正倉院宝物として今日に伝えられています。

 この宝物の中には、光明皇后が、中国の
王羲之(おうぎし)筆とされる楷書の法帖を書き写した『楽毅論(がくきろん)』も残されています。正倉院の書跡中の白眉とされ、その力強く朗々たる筆跡で有名ですが、皇后のお人柄に触れようとするとき、末尾に記されている「藤三娘(とうさんじょう)」という署名に注目したく思います。藤原氏の三女という意味、あるいは母・三千代の名を入れたともいわれますが、ご自身のニックネームとして使っておられたのか、とても愛嬌あふれる表現です。また同時に、自分は藤原氏の娘であるという確かな誇りが滲み出ているように感じられてなりません。
 


聖武天皇と光明皇后

 聖武天皇と光明皇后ほど、対照的な性格の夫婦も珍しいでしょう。聖武天皇の弱さ、優しさ、几帳面さと、光明皇后の勁(つよ)さ、勝気さ、奔放さ。そのエピソードには事欠きませんが、なかでも正倉院におさめられている二人の筆跡など、わかりやすい例でしょう。『宸翰(しんかん)雑集』の書写にみる聖武天皇の筆跡は、細く、優美で、しかも丹念です。これに対し『楽毅論(がっきろん)』を書写した光明皇后の筆跡は、線あくまで太く、一行何字ときめられている字数などおかまいなし、最後の年号のところではどうも間違えたらしく、上から強引に墨を塗って書き直している有様です。よくいえば雄勁(ゆうけい)、遠慮なくいえば乱暴狼藉な書と評せるでしょう。

~『万葉の女性歌人たち』杉本苑子/NHKライブラリーから引用
 

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