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巻第9(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第9-1682~1684

訓読

1682
とこしへに夏冬行けや裘(かはごろも)扇(あふぎ)放(はな)たぬ山に住む人
1683
妹(いも)が手を取りて引き攀(よ)ぢふさ手折(たお)り我(わ)が挿(かざ)すべく花咲けるかも
1684
春山は散り過ぎぬとも三輪山(みわやま)はいまだ含(ふふ)めり君待ちかてに

意味

〈1682〉
 いつだって夏と冬が同時にやってくるというのか、毛皮の衣を着て扇を放そうとはしない、この絵の中の仙人は。
〈1683〉
 あの娘の手を取って引き寄せるように、つかみとって私の髪飾りにするほどに花を咲かせたことだ。
〈1684〉
 春の山の花々は散ってしまいました。でも、三輪山だけはつぼみのままでいます。あなたのおいでを待ちかねて。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から3首。1682は、題詞に「忍壁皇子(おさかべのみこ)に獻(たてまつ)る」とある歌。題詞の下に「仙人(やまひと)の形を詠む」との脚注があり、「形」は彩色しない絵のことで、皇子の邸にあった仙人の姿を描いた絵か何かを見て歌ったと考えられています。あるいは、人麻呂が仙人の絵を献ずるに際して添えた歌と見ることも可能です。歌は人麻呂本人の作と見られています。

 「とこしへに」は、いつまでも絶えずに、永久に。「行けや」の「や」は反語性のある疑問の助詞で、行くというのか、いや行かないだろうに。「裘」は、毛皮で作った衣。「扇」は、うちわの類で、夏用。「山に住む人」は仙人のことで、「仙人」を翻読した表現。神仙思想は、この時代には上流の知識階級にかなり浸透していたとされますが、この歌は、皇子の興を買おうとしての即興で、仙人を尊ぶ心は見られません。

 
忍壁皇子は、天武天皇の第9皇子で、天武10年(681年)に川嶋皇子らと共に帝紀および上古諸事の記定を命じられ、大宝元年(701年)には藤原不比等らと共に律令の撰定に参画した人。さように文化的教養をそなえた人であり、皇子の周囲には大陸からの渡来人官僚も多くいたであろうと想像され、仙人の絵も彼らを通じて入手したのではないかと見られています。

 1683・1684は「
舎人皇子(とねりのみこ)に献る歌」。舎人皇子は、天武天皇の第3皇子で、第47代淳仁天皇の父。養老4年(720年)5月『日本書紀』を撰集して奏上、同年8月、知太政官事。神亀6年(724年)には長屋王を窮問して自尽せしめ、同年、光明子立后の宣明を宣べた人です。『万葉集』には3首の作歌があります。『人麻呂歌集』には1704、1705にも皇子に献った歌があり、巻第2-196に皇子の同母妹の明日香皇女への人麻呂作の挽歌がありますが、人麻呂との関係がどのようなものだったのかは分かっていません。

 
1683の「妹が手を」は「取りて」の枕詞。「引き攀ぢ」は、掴んで引き寄せる。「ふさ手折り」は、ふさふさと多くある物をそのまま手折って。宴席の装飾として花をかざしにする風習があったため、その席で詠まれた歌とみられています。ここの「挿す」は、共寝することの譬えでもあります。「花咲けるかも」の「花」は、桜。盛んに咲いている桜の花を女に譬え、その豊満な姿態が自分と共寝するためにあることを暗示して、女の関心を引いている歌です。

 
1684は、これに返す女の立場の歌。「春山」は、春山に咲く花の意。「三輪山」は、奈良県桜井市三輪の山で、大神(おおみわ)神社の神体とされている山。神のように高貴な女の譬え、あるいは親に厳しく庇護されている女の譬えか。「含めり」は、花が開ききらないままである。「含(ふふ)む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語です。「待ちかてに」の「かて」は、可能の動詞「かつ」の未然形、「に」は打消の助動詞「ず」の連用形。待っていることができないで。

 舎人皇子に献じたこの2首は、男女関係を寓した譬喩歌とされますが、特に2首目は何を寓しているのか分かりにくいとして問題にされている歌でもあります。1774、1775にも舎人皇子に献じられた歌が載っています。
 


神仙思想

 古代中国で、不老長寿の人間、いわゆる仙人の実在を信じ、みずからも仙術によって仙人になろうと願った思想。前4世紀頃から、身体に羽が生えていて空中を自由に飛行できる人が南遠の地や高山に住んでいるとか、現在の渤海湾の沖遠くに浮ぶ蓬莱などの三神山に長生不死の人とその薬があるとかいう説があります。燕の昭王や斉の威王、宣王や秦の始皇帝や漢の武帝は、特にそれに心をひかれたらしく、始皇帝は、徐(じょふつ:徐福とも)らの方士に童男童女数千人を伴わせて蓬莱山へ不死の薬を求めに行かせています。この神仙思想が道家思想や五行説と結びついて成立した宗教が、中国3大宗教の一つとされる道教です。日本には仏教や文学書などとともに伝わり、8~9世紀にはかなり流行しました。ただし日本の場合は表面的な不老長生願望がほとんどであり、道との一体化という側面はあまり見られません。

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「妹」と「児」の違い

 「妹」は、男性が自分の妻や恋人を親しみの情を込めて呼ぶ時の語であり、古典体系には「イモと呼ぶのは、多く相手の女と結婚している場合であり、あるいはまた、結婚の意志がある場合である。それほど深い関係になっていない場合はコと呼ぶのが普通である」とあります。しかし、「妹」と「児」とを、このように画然と区別できるかどうかは、歌によっては疑問を感じるものもあります。ただ、大半で「妹」が「児」よりも深い関係にある女性を言っているのは確かでしょう。

 また、例外的に自分の姉妹としての妹を指す場合もあり(巻第8-1662)、女同士が互いに相手を言うのに用いている場合もあります(巻第4-782)。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。