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巻第9(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第9-1690~1693

訓読

1690
高島(たかしま)の阿渡(あど)川波(かはなみ)は騒(さわ)けども我(わ)れは家(いへ)思ふ宿(やど)り悲しみ
1691
旅なれば夜中(よなか)をさして照る月の高島山(たかしまやま)に隠(かく)らく惜(を)しも
1692
我(あ)が恋ふる妹(いも)は逢(あ)はさず玉の浦に衣(ころも)片敷(かたし)き独(ひと)りかも寝(ね)む
1693
玉櫛笥(たまくしげ)明けまく惜(を)しきあたら夜(よ)を衣手(ころもで)離(か)れて独りかも寝(ね)む

意味

〈1690〉
 高島の安曇川は波だって騒がしいけれども、私はただひたすら家のことばかり思っている。旅のひとり寝が悲しくて。
〈1691〉
 旅の途上にあっても、ま夜中に向けて照り輝く月が、高島山に隠れていくのが惜しくてならない。
〈1692〉
 私が恋い焦がれるあの人は逢ってくれようとしない。この玉の浦で、着物を独りで敷いて寂しく寝るしかないのか。
〈1693〉
 このまま明けてしまうのが惜しい夜なのに、あなたと離れて私は独りで寝ることだ。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から4首。1690・1691は「高島にて作れる歌」。「高島」は、今の滋賀県高島市で、琵琶湖の西岸。陸行での歌とされます。1690の「阿渡川」は、現在の安曇川で、東流して琵琶湖に流れ出る川。「騒けども」は原文「驟鞆」で、サワクトモとも訓めます。このような、自然は~だけども人間(自分)は~であるというのは古い歌の型で、人麻呂が好んで用いた語法とされます。「宿り悲しみ」は、旅寝の侘しさが悲しくて。巻第7に異伝歌があります(1238)が、こちらの方が先だろうと見られています。

 
1691の「夜中をさして」は、月が夜中を目指して刻々と天心に近づく意。「夜中」の原文「三更」で、本来は夜半の意ですが、ここでは地名とする説もあります。あるいは地名と時刻の夜中を懸けているのかもしれません。「高島山」は、高島の地の山であるものの、その名が伝わっておらず、高島の地の山の意か。「隠らく」は「隠る」のク語法で名詞形。

 1692・1693は「紀伊国にて作れる歌」。
1692の「我が恋ふる妹」は、家で待つ妻ではなく、旅で見初めた女性を指しているとされます。夜の宴席に侍る女性に呼びかけた語でしょうか。「逢はさず」は「逢はず」の敬語で、「逢ふ」は、共寝すること。こちらの思いに任せぬ相手である気位の高い女性であることを強調するための表現と見られます。「玉の浦」は、和歌山県那智勝浦町の海岸。「衣片敷く」は、自分の衣だけを敷くことから、独り寝する意。「独りかも寝む」の「か」は疑問、「も」は詠嘆。窪田空穂は、「語が美しく艶があり、調べも張っているので、魅力のあるものとなっている。すぐれた手腕である」と評しています。

 
1693の「玉櫛笥」は、櫛などの化粧道具を入れる箱。その箱を開ける意で「明け」にかかる枕詞。前歌の「玉の浦」を意識して用いています。「明けまく」は「明けむ」のク語法で名詞形。「あたら夜」は、明けるのが惜しい夜。「衣手離れて」の「衣手」は衣の意ですが、ここはその衣を着ている女性を間接的に指しています。上の歌との連作で、共寝もせずに過ごしてしまうには惜しい夜だと、社交辞令を言って嘆いてみせているものです。

 人麻呂は、紀伊の国の行幸には、少なくとも2度従っていると見られます。一つは妻も同行した持統朝(687~697年)頃(巻第4-496~499)、もう一つは文武朝の大宝元年(701年)であり(巻第9-1667~1681)、ここもその折の詠だろうとされます。
 


『柿本人麻呂歌集』について

 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

 この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

 ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

 文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。