| 訓読 |
1694
栲領巾(たくひれ)の鷺坂山(さぎさかやま)の白つつじ我(わ)れににほはね妹(いも)に示さむ
1695
妹(いも)が門(かど)入(い)り泉川(いづみがは)の常滑(とこなめ)にみ雪残れりいまだ冬かも
1696
衣手(ころもで)の名木(なき)の川辺(かはへ)を春雨に我(わ)れ立ち濡(ぬ)ると家思ふらむか
1697
家人(いへびと)の使ひにあらし春雨の避(よ)くれど我(わ)れを濡(ぬ)らさく思へば
1698
あぶり干(ほ)す人もあれやも家人(いへびと)の春雨すらを間使(まつか)ひにする
| 意味 |
〈1694〉
鷺坂山の白つつじよ、私の衣をみごとに白く染めてくれ、帰って妻に見せるから。
〈1695〉
妻の家の門を出入りする時に見る、泉川の岩には雪が消え残っている、ここはまだ冬なのだろうか。
〈1696〉
名木(なき)の川辺で、私が春雨に濡れて立っていると、家の妻は思ってくれているだろうか。
〈1697〉
これは家族の使いなのだろうか。春雨が、いくら避けようとしてもしつこく私を濡らしてしまうのを思えば。
〈1698〉
濡れた着物を乾かしてくれる人などありはしないのに、家の妻は疑って、春雨のようなものまでも使いに寄こしてくる。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から5首。1694は「鷺坂にて作れる歌」。鷺坂は今の京都府城陽市久世にある坂道で、大和から近江へ行く街道にあたります。「栲領巾の」の「栲領巾」は 楮(こうぞ)などの繊維で織った栲布(たくぬの)で作った領巾(ひれ)で、女性の肩にかける飾り布。その白く細いところが鷺の頭の長い毛に似ているところから「鷺坂山」にかかる枕詞。「鷺坂山」は、この付近の丘陵を鷺坂山と呼んだもの。「我ににほはね」の「にほふ」は、ここは色が染みつくこと。「ね」は、他に対しての願望。「栲領巾」「鷺」「白つつじ」と、純白のもの3つが取り合わせになっており、旅の間、潔白で他(あだ)し心のないことを妻に示そうとするものかもしれません。上掲の解釈のほか、「にほふ」は色に現れる、すなわち花と開く意だとし、「我のために咲き出てくれよ」とするものもあります。
1695は「泉川にて作れる歌」。「泉川」は、奈良県を流れる木津川。「妹が門入り」は妻の家の門に入るという意味で、「出(い)づ」と続けて「泉川(いづみがは)」を導く7音の序詞になっています。「常滑」は、上面が床のように平らになっている大岩。「み雪」の「み」は、接頭語。「いまだ冬かも」は、まだ冬なのだろうか(いや、もう春のはずだが)という詠嘆。暦の上では春であるのに、残雪があることへの驚きを表します。
1696~1698は「名木川にて作れる歌」。名木川は、京都府宇治市南部を流れ、巨椋池(おぐらいけ)に注いでいた川ではないかとされます。一説には、昔の木津川が巨椋池に流れ込むあたりの名かと言います。1696の「衣手の」は、続きの意が不確かながら「名木」の枕詞。衣の袖がなえて和(な)ぐ意の和(な)ぎを、同音で名木に続けたとする見方があります。「立ち濡ると」の「立ち」は動作を強める接頭辞的な役割もあり、雨の中でじっと立ち尽くして濡れている様子を表します。「家」は、単なる建物ではなく、家の者たち、ここは家にいる妻。「思ふらむか」の「らむ」は現在推量で、(今ごろ)思っているだろうか。
1697の「家人の使ひにあらし」の「家人」も、家に残してきた妻のこと。「あらし」は「あるらし」の意。「避くれど」は、避けても。「我れ」は原文「吾等」とあるので、旅の同行者の気持ちを代弁しているのかもしれません。「濡らさく」は「濡らす」のク語法で名詞形。「思へば」は、〜と思うので(だから・・・に違いない)、という理由を表します。
1698の「あぶり干す」は、火に当てて乾かすこと。「人もあれやも」の「人」は、世話をしてくれる人。「やも」は、反語。(世話をしてくれる)人があろうか、ありはしない。「春雨すらを」は、春雨でさえも。「間使ひ」は、二人の間を往来する使い。ここでは、絶え間なく降り注ぐ雨を、絶え間なくやってくる使者に譬えています。
3首1組の歌で、この順序に従って、旅先で降られた春雨に触発された妻への思いが次第に昂揚していくさまを歌っています。1首目は、今ごろ妻は自分を思ってくれているだろうかと単に思い出したのに過ぎなかったのが、2首目では、自分を濡らす春雨はどうやら妻の意志によるらしいと疑い、3首目にいたっては、妻が自分の傍に他の女性がいるのを疑っているのではと、妻の嫉妬の感情まで推し量っています。同行する男性官人らの間で、旅中の慰めに披露されたものと見えます。

木津川(泉川)
木津川は、総延長約90kmの淀川水系に属する一級河川。『万葉集』では「泉川」「泉河」「泉之河」「伊豆美乃河」「出見河」「山背川」「山代川」などと表記され、『日本書紀』崇神天皇の条に、「大彦命(おおひこのみこと)と武埴安命(たけはにやすのみこと)の両軍が川を挟んで挑んだので、時の人は改めて伊杼美河(挑:いどみがは)と名付けた」とあり、この名が訛って「泉川」になったという説があります。
木津川は、青山高原に端を発し、伊賀市東部を北流、伊賀市北部で柘植(つげ)川、服部川と合流して、京都府に入るあたりから河谷を形成し、鹿背山の北裾の谷あいから南山城盆地に流れ出し、木津付近で北に流れの方向を変え、同盆地を南から北へ貫き、八幡市付近で宇治川、桂川と合流して、淀川となって大阪湾に注ぎます。現在の木津川は、上流にダムや発電所が造られ、著しく水量が減っていますが、かつては流れの激しい川だったようです。
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