| 訓読 |
1707
山代(やましろ)の久世(くせ)の鷺坂(さぎさか)神代(かむよ)より春は張りつつ秋は散りけり
1708
春草(はるくさ)を馬(うま)咋山(くひやま)ゆ越え来(く)なる雁(かり)の使(つか)ひは宿(やど)り過ぐなり
1709
御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる
| 意味 |
〈1707〉
山城の久世の鷺坂には、遠い神代の昔から、春になると木々が芽吹き、秋にはこのように散ってきたことである。
〈1708〉
春の草を馬が食う、その咋山を越えてやってきた雁の使いは、何の伝言も持たず、この旅の宿りを通り過ぎていくようだ。
〈1709〉
南淵山の山肌の巌には、はらはらと降った淡雪がまだ消えずに残っている。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から3首。1707は「鷺坂(さぎさか)にて作れる歌」。「山代」は、京都府の南半分にあたる旧国名。集中ではほかに「山背・開木代」などと表記されています。「久世」は、京都市伏見区南部、久世郡久御山町、城陽市、宇治市南部の一帯。「鷺坂」は、京都府城陽市久世の久世神社東方にある坂道。「張り」は、草木が芽を出すこと。「つつ」は、継続。「けり」は詠嘆で、事実が過去から現在まで繰り返し行われてきたことを表す用法。季節の推移の折り目正しさに感嘆した歌であり、四季折々にいつも往還する経験ならではの作です。
窪田空穂はこの歌に関して、「『山代の久世の鷺坂』は、鷺坂としては最上の重い言い方であって、讃えの心よりのことである。・・・人麿は根本的には、世上の一切を時の上に泛かべて見る傾向の強い人であるが、この歌はそれの直接に現われているものである。後世になるとこれが無常観となり、悲哀感となってくるのであるが、人麿にはそれがなく、自身の生命に対して強い執着をもっていた人で、その執着をとおして、時の推移を痛感していたのである。いわば執着の裏書ともいうべきものである。これは時代的関係というよりも人麿の個人性によるものである。この歌は、その心の閃きで、熱意をもってのものである」と述べています。なお、大伴坂上郎女の「かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は生ひつつ秋は散りゆく」(巻第6-995)はこの歌に学んだのだろうとされます。
1708は「泉河の辺(ほとり)にて作れる歌」。「泉河」は、木津川。「春草を馬」は、春の草を馬が咋(く)うと続け「咋山」の「咋」に転じて7音の序詞としたもの。「咋山」は、京田辺市飯岡の丘で、木津川の西岸。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「越え来なる」の「なる」は、結句の「なり」とともに伝聞推定の助動詞。「雁の使ひ」の「使ひ」は、他所へ出かけて行き伝言したりすること、また、その人の意。前漢の蘇武(そぶ)が匈奴(きょうど)に捕らえられた時、雁の足に手紙を付けて故郷に送ったという『漢書』蘇武伝の故事を踏まえた表現で、『万葉集』中に何例か見られます。窪田空穂は「具象が巧みで、『春草を馬咋山』と続けた序詞は奇抜なものにみえるが、当時の旅行には馬は離されぬ付き物であったから、連想しやすかったとみえる」と言っています。
1709は「弓削皇子に献上した歌」とある歌。「御食向ふ」は「南淵山」の枕詞。「御食」は貴人の食事の意で、それに供する蜷(みな:食用の淡水産の巻貝)と「南(みな)」をかけたもの。「南淵山」は、明日香川上流にある山。「はだれか」の「はだれ」は、薄く降り敷いた雪。「か」は疑問の係助詞で、下の「たる」で結んでいます。この歌には何某かの寓意があるのではと指摘されますが、斎藤茂吉は「学者等の一つの迷いである」として、「叙景歌として、しっとりと落ち着いて、重厚にして単純、清厳ともいうべき味わい」と言っており、国文学者の池田彌三郎は、「春先の雪を歌っているのだから、この歌は初春の言寿(ことほぎ)の歌で、それを弓削皇子に献上したのだ」と言っています。南淵山と皇子との関係は不明ながら、皇子の邸から近くに見える山だったともいわれます。
弓削皇子は、天武天皇の第9皇子で、長皇子と同母兄弟。高市皇子の没後の御前会議で葛野王に発言を制せられたことは有名です。皇子の作歌は『万葉集』に8首ありますが、巻第9にはここと1701~1703の題詞に名が見えるのみ。人麻呂との関係は、忍壁皇子を通じての縁だっただろうと推測されています。

木津川(泉川)
木津川は、総延長約90kmの淀川水系に属する一級河川。『万葉集』では「泉川」「泉河」「泉之河」「伊豆美乃河」「出見河」「山背川」「山代川」などと表記され、『日本書紀』崇神天皇の条に、「大彦命(おおひこのみこと)と武埴安命(たけはにやすのみこと)の両軍が川を挟んで挑んだので、時の人は改めて伊杼美河(挑:いどみがは)と名付けた」とあり、この名が訛って「泉川」になったという説があります。
木津川は、青山高原に端を発し、伊賀市東部を北流、伊賀市北部で柘植(つげ)川、服部川と合流して、京都府に入るあたりから河谷を形成し、鹿背山の北裾の谷あいから南山城盆地に流れ出し、木津付近で北に流れの方向を変え、同盆地を南から北へ貫き、八幡市付近で宇治川、桂川と合流して、淀川となって大阪湾に注ぎます。現在の木津川は、上流にダムや発電所が造られ、著しく水量が減っていますが、かつては流れの激しい川だったようです。
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