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巻第9(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第9-1712~1715

訓読

1712
天(あま)の原(はら)雲なき夕(よい)にぬばたまの夜(よ)渡る月の入(い)らまく惜(を)しも
1713
滝の上の三船(みふね)の山ゆ秋津(あきつ)べに来鳴きわたるは誰呼子鳥(たれよぶこどり)
1714
落ち激(たぎ)ち流るる水の磐(いは)に触(ふ)り淀(よど)める淀に月の影(かげ)見ゆ
1715
楽浪(ささなみ)の比良山風(ひらやまかぜ)の海吹けば釣りする海人(あま)の袖(そで)返る見ゆ

意味

〈1712〉
 見渡すかぎり雲のないこの夕暮れに、夜空を渡り月が沈んでいくのが惜しまれてならない。
〈1713〉
 吉野川の滝の上にそびえる御船山から、秋津野にかけて鳴き渡ってくるのは、誰を呼んでいる呼子鳥なのか。
〈1714〉
 勢いよくたぎって流れてきた水が、巌石に突き当たって淀んでいる。その淀みに月影が映っている。
〈1715〉
 比良山から湖上に吹き下ろす風に、釣り人の着物の袖がひらひらと翻っているのが見える。

鑑賞

 1712は「筑波山に登りて月を詠める」とある作者未詳歌。「筑波山」は、茨城県つくば市にある関東の名山。男体・女体の2峰に分かれ、国見など、男女がこぞって遊んだ山として知られます。「天の原」は、広々と広がっている大空。「雲なき夕に」は、雲のない夕暮れなのに、と訳するものもあります。「ぬばたまの」は、ぬばたま(ヒオウギ)の実が真っ黒なことから「夜」にかかる枕詞。「夜渡る月」は、夜空を渡る月。「入らまく」は「入らむ」のク語法で名詞形。この歌について、筑波山上に見た月の特徴としては格別に表現されていないとする評がある一方、窪田空穂は、「大景を単純に捉えて、充実したものとしている。・・・感動の足りない憾(うら)みはあるが、安らかに詠んで大景をこれほどに支配し得ている手腕は、非凡というべきである」と評しています。

 1713・1714は、題詞に「吉野離宮行幸の時の歌」とある作者未詳歌で、養老7年(723年)の元正天皇の行幸の時の歌ではないかとされます。「吉野離宮」は、奈良県吉野町宮滝付近にあった離宮。
1713の「滝」は、激流。「三船の山」は、吉野離宮の上流にある標高487mの山。集中に7例あり、うち4例が「滝の上の」を冠して歌われています。「秋津辺」は、離宮のある秋津野の辺り。「誰呼子鳥」は、誰を呼ぶ呼子鳥かで、呼子鳥は今のカッコウとする説が有力。あちらこちらに場所を変えながら鳴くカッコウの声は人を探して呼んでいるように聞こえるので相応しいと言えますが、集中に、春の歌、それも鶯の歌などにまじっているのは季節に合いません。巻第10-1827に類歌がありますが、それより先行する歌です。

 
1714の「落ち激ち」は、激しく流れ落ちて水しぶきをあげる様子。「月の影」は、月の光。水面が明るく静かに光っていることを表しています。印象の鮮明な歌であり、作家の田辺聖子は、烈しさと静けさをなだらかに移行させたおもしろい歌であると言い、佐佐木信綱は、「自然のままに写して、しかもけだかい風韻を帯びているところ、まさに万葉叙景の至境というべきである」と述べています。一方、賀茂真淵は、これら2首の風格からして、人麻呂の作ではなかろうかと言っています。

 
1715は『柿本人麻呂歌集』から。題詞に「槐本(えにすのもと)の歌一首」とあり、誰の歌か未詳。訓みも、他にエノモト、ツキノモト、カキノモトなど諸説あります。「槐」は、マメ科の落葉高木えんじゅ。「楽浪」は、琵琶湖の西南沿岸。「比良山風」は、比良山から湖岸に吹き降ろす風。「比良山」は、京都府と滋賀県との境に立つ山で、伊吹山と相対しています。急峻で、早春、琵琶湖西岸に吹き降ろす風は激しく、「比良八荒(ひらはっこう)」と呼ばれます。「海」は、琵琶湖。「返る」は、ひるがえる。「見ゆ」の表現は、動詞・助動詞の終止形に接するのが通則で、この用法は古今集以後にはありません。古代の「見ゆ」は、上の文を完全に終結させた後にそれを受けており、存在を視覚によっては把捉した古代的思考、存在を見える姿において描写的に把捉しようとする古代の心性があった、と説かれます。

 
斎藤茂吉はこの歌を、「張りのある清潔音の連続で、ゆらぎの大きい点も人麻呂調を連想せしめる、まず人麻呂作といっていいものだろう」と言っており、国文学者の金井清一は、「急峻な山容と標渺たる湖面の大景に点景の漁船の人物を配した構成は絵画的な鮮明さがあり、洗練された感覚を感じる」と評しています。一方、窪田空穂は、「人麿の『淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹きかへす』(巻第3-251)と、構想は似ているが、人麿の主観的なものとは異なって、客観的事象を主として、興味を生かそうとしているものである」と述べています。
 


万葉歌碑

 万葉歌碑は『万葉集』の歌を刻む碑(いしぶみ)であり、多くの人々に親しまれる万葉の歌を石に刻んでいます。これには、その歌を作った歌人を讃える意味が込められており、その歌が後世にも残ることを願ったものです。歌碑の数は、国内に約2000基あり、大勢の人々が訪れています。歴史的な場所、たとえば奈良の「山の辺の道」はじめ桜井市の古道には、柿本人麻呂、額田王など、名歌人たちの歌碑が60数基残されています。
 

 

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