| 訓読 |
1729
暁(あかとき)の夢(いめ)に見えつつ梶島(かぢしま)の礒(いそ)越す波のしきてし思ほゆ
1730
山科(やましな)の石田(いはた)の小野(をの)の柞原(ははそはら)見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ
1731
山科(やましな)の石田の杜(もり)に幣(ぬさ)置かばけだし我妹(わぎも)に直(ただ)に逢はむかも
| 意味 |
〈1729〉
明け方の夢にたびたび見えて、梶島の磯を越えては打ち寄せる波のように、妻のことがしきりに思われてならない。
〈1730〉
山科の石田の小野の柞原を見ながら、今頃あなたはその山道を越えようとしておられるのでしょうか。
〈1731〉
山科の石田の杜にお供え物を捧げたなら、ひょっとして愛しいあの子に直(じか)に逢えるだろうか。
| 鑑賞 |
題詞に「宇合卿が歌三首」とある、藤原宇合(ふじわらのうまかい)の歌。氏に「卿」を付けて呼ぶ敬称法の例は多くありますが、名前に「卿」を付けるのは他に例がなく、これを記したのは宇合と関係の深かった人、すなわち宇合の部下だった高橋虫麻呂とされます。1726から1760までの歌は『高橋虫麻呂歌集』所収の歌と捉えられており、この一事もその根拠とされます。
1729は、旅にあって京の妻を恋う歌。「暁」は、明け方、未明の頃。「梶島」は所在未詳ながら、西海道節度使として筑紫に下った時の歌ではないかとも言われます。「礒越す波」の「磯」は、岩石または岩石の多い波打ち際で、海辺の磯を越えて打ち寄せる波。第3、4句は眼前の実景であるとともに「しきて」を導く序詞。「しきて」は、幾重にも重なり合って、しきりに。窪田空穂はこの歌を評し、「旅にあって京の妻を恋うという、ほとんど内容の定まったものであるが、この歌は、『暁の夢に見えつつ』とあくまで実際に即しているとともに、一方では妹ということをいわず暗示にとどめる言い方をしている。したがって一首、実感としておちついた味わいをもちながら、その実感が柔らかく、情趣のあるものとなっている」と述べています。巻第7-1236に類歌があり、望郷歌として古歌を利用したものかともいわれます。
1730は前歌に応ずるもので、旅先にある夫を思う妻の立場で歌った歌か。「山科」は、京都市山科区から伏見区にかけての地域。「石田の小野」は、伏見区石田町の地。「柞」は、コナラ、クヌギなどの総称。「山道」は、都から東国へ下る際に通る、山科から逢坂山にかかる上り道。「らむ」は、現在推量。男の旅路に特段の不安を感じているのではなく、石田の柞原を見ることを羨んでいます。土地の民謡を利用したものかとも言われますが、窪田空穂は、「これは男に対する関係の深くないことを示していることで、遊行婦の類ではないかと思われる。しかしそれにしては、歌がおちついて、品のあるものである。この程度の歌を詠む遊行婦もありうることと思える」と述べています。この歌にも、巻第12-3192など多くの類歌があります。
1731は、さらに1730に応じた形になっています。「石田の杜」の「杜」は霊域、神社の意で、石田町にある天穂日命(あめのほひのみこと)神社のことか。集中、巻第12-2856、巻第13-3236などにも歌われています。「幣置かば」の原文「布麻越者」で「手向けせば」と訓むものもあります。「幣」は、神に祈るときの供え物。「けだし」は、疑問の気持ちを持った推量の副詞で、ひょっとして、もしかすると、の意。「我妹」は、上の歌に出た男を「君」と呼んでいる女。「直に」は、直接に。以上3首が一連で、旅先で夫婦双方?の立場に身を置きつつ物語的に興じた、旅の宴席での座興とされ、またこうした営みが旅愁を慰める文雅であったことが理解できます。宇合には、巻第8-1535にも、女性の立場で詠んだ歌があります。
藤原宇合は不比等の3男で、藤原4家の一つである「式家」の始祖にあたります。若いころは「馬養」という名前でしたが、後に「宇合」の字に改めています。霊亀3年(717年)に遣唐副使として多治比県守
(たじひのあがたもり) らと渡唐。帰国後、常陸守を経て、征夷持節大使として陸奥の蝦夷 (えみし) 征討に従事、のち畿内副惣管、西海道節度使となり、大宰帥
(だざいのそち) を兼ねましたが、天平9年(737年)、都で大流行した疫病にかかり44歳で没しました。正三位参議で終わりましたが、長く生きていれば当然、納言・大臣になれたはずの人です。『万葉集』には6首の歌が載っています。

『万葉集』クイズ
次の歌の作者は誰?
【解答】
1.大伴家持 2.狭野弟上娘子 3.高橋虫麻呂 4.山部赤人 5.市原王 6.聖武天皇 7.湯原王 8.大伴坂上郎女 9.紀女郎 10.志貴皇子
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