| 訓読 |
海神(わたつみ)のいづれの神を祈らばか行くさも来(く)さも船の早(はや)けむ
| 意味 |
海を支配するどの神にお祈りをすれば、行きも帰りも、より早く船が進むことができるでしょうか。
| 鑑賞 |
題詞に「入唐使に贈る歌」とありますが、左注には「渡海した年紀は未詳」とあり、いつの遣唐使出発の際の歌か分からず、作者も不明です。「海神(わたつみ)」は、わた・つ・みの3語からなり、「わた」は渡る意で、古来、海の彼方は他界と考えられており、「つ」は「天つ空」とツと同様で「~の」、「み」は「祇(み)」で神霊を意味します。『万葉集』では「海の神」または「海」そのものの意味に使い分けられています。ここは原文「海若」と書かれているので前者の意とされます。「海若」は漢籍に見える語で、「若」は神託を受けた者、転じて神の意。「いづれの神」は、海神といわれる神には種類が多く、阿曇氏の祭る綿津見の神、津守氏の祭る住吉の神などがあり、いずれの神が最も神威が強いかと迷っているものです。「祈らばか」の「か」は疑問の係助詞で、「早けむ」で結んでいます。「行くさも来さも」の「さ」は接尾語で、動詞について「~する時」の意。行く時も帰る時も。
作者について、窪田空穂は、「遣唐使に直接関係をもった人の歌で、おそらく女性の歌と思われる。それは相手と対等な地歩を占め、圏内にあっての不安をいったものであり、心弱いものだからである」と言っています。歌の内容はいずれの時にも使える一般的なもので、代々の遣唐使出発の送別の宴席で歌い継がれたものかもしれないといいます。

わたつみ(海神・海若)
ワタ(海)+ツ(格助詞)+ミ(霊格を示す接尾語)で、『万葉集』では海の神、あるいは海そのものとして詠まれる。ウミ(海)が「近江の海」「伊勢の海」のように、「地名+ウミ」と表現されるのに対し、ワタツミには地名は冠されない。これはワタツミが、元来「海の神」をあらわす語であることを示していよう。
「わたつみの」は、オキ・オク(沖・奥)の枕詞でもある。これは海神が、遠く離れた沖の宮に居るとされたことによる。またワタツミのいる沖は「海界(うなさか)」と称されるように、異界とつながっていた。ワタツミは、「神代記」一書ではトヨタマビコのこととされ、その娘たちもトヨタマビメ、タマヨリビメと呼ばれているように、玉との結びつきが強い。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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遣唐使について
7世紀から9世紀にかけて日本から唐に派遣された公式の使節。舒明天皇2年(630年)8月に犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)を派遣したのが最初で、寛平6年(894年)に菅原道真(すがわらのみちざね)の建議によって停止されるまで、約20回の任命があり、うち16回が渡海しています。
通常4隻の船から構成されたことから「四(よ)つの船」と呼ばれ、1隻あたりの構成員は120~160人だったとみられています。当初は朝鮮半島沿いの北路がとられましたが、新羅との関係が悪化してからは東シナ海を横断する南路をとるようになり、途中で難破することが多くなりました。
遣唐使の目的は、唐の先進的な技術、政治制度や文化、ならびに仏教の経典等の収集にありました。吉備真備・僧玄昉などの留学生・留学僧が唐の文化を日本に持ち帰り、天平文化を開花させました。また754年には唐から高僧鑑真が日本に渡り、唐招提寺を建て日本の仏教に大きな役割を果たしました。遣唐使を通じての日本と唐の関係は非常に密接であったといえます。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |