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巻第9(索引)<万葉集(掲載歌の索引)<古典に親しむ

『万葉集』巻第9-1795

訓読

1795
妹(いも)らがり今木(いまき)の嶺(みね)に茂り立つ夫(つま)松の木は古人(ふるひと)見けむ

意味

〈1795〉
 今木の嶺に茂り立つ、夫の訪れを待つという松の木は、昔のあの皇子をきっと見ていたことだろう。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「宇治若郎子(うじのわきいらつこ)の宮所(みやどころ)の歌」一首で、「挽歌」の部に入れられています。宇治若郎子は第15代応神天皇の皇子で、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと:後の仁徳天皇)と皇位を譲り合い、宇治の宮で自ら命を絶つことで兄を即位させたという悲話の持ち主です(『仁徳紀』)。その宮所(宮の跡)を見て懐かしんで詠んだのがこの一首です。宇治市宇治に、この皇子の離宮の跡と伝える所があります。

 「今木の嶺」は所在未詳ながら、宇治市周辺の山の名ではないかとされます。「妹らがり」の「ら」は接尾語、「がり」は、〜の許(もと)へ、〜の家の方へ、の意味の方向・場所を表す接尾辞。ここは妹のもとへ今来るの意で「今木」にかかる枕詞。「今木の嶺」の所在は、未詳。「夫松の木」は、夫の訪れを待つように立つ松の意で、初句の「妹」に見立てています。「古人」は、宇治若郎子をさします。「見けむ」の「けむ」は過去推量の助動詞で、見たであろう。

 上掲の解釈とは別に、「松の木が宇治若郎子を見たことであろう」と解するものもあります。しかしそれでは作者の関心が若郎子より松の木に傾いてしまうため、ここは、作者が宮の跡地に立って遠方の峰の松の木を見て、若郎子も昔見たことであろう、と偲んでいるものとしています。自然の景物を仲立ちとして、時代を超えた人間の普遍的な情愛に思いを巡らせている歌です。

 


宇治若郎子(菟道稚郎子)

 宇治若郎子は、第15代・応神天皇の皇子で、仁徳天皇の異母弟にあたります。幼少の頃から書物に親しみ、百済の阿直岐、王仁などを師に迎え、典籍に通じていたといいます。応神天皇に非常に愛され、その 40年に、兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が天皇の問いに答えて、「いまだ成人せぬ少子は最もかなし」と薦めたため、兄をおいて皇太子となりました。翌年、父天皇の崩御により即位することになったものの、彼はひたすら兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)を推し、このため空位 3年に及びました。皇子は苦悩の末に自殺して、仁徳天皇の即位を促したとされます。その墓所は菟道宮、宇治墓といい、京都府宇治市丸山にあります。
 

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