| 訓読 |
1812
ひさかたの天(あま)の香具山(かぐやま)このゆふへ霞(かすみ)たなびく春立つらしも
1813
巻向(まきむく)の檜原(ひはら)に立てる春霞(はるかすみ)おほにし思はばなづみ来(こ)めやも
1814
いにしへの人の植ゑけむ杉(すぎ)が枝(え)に霞(かすみ)たなびく春は来(き)ぬらし
1815
子らが手を巻向山(まきむくやま)に春されば木(こ)の葉(は)凌(しの)ぎて霞(かすみ)たなびく
| 意味 |
〈1812〉
天の香具山に、この夕暮れ、霞がたなびいている。どうやら、春になったらしい。
〈1813〉
巻向の檜林にぼんやりとに立ちこめている春霞、その春霞のように、軽々しい気持ちで思うのだったら、こんなに難渋しながらここまでやって来るだろうか。
〈1814〉
昔の人が植えたのだろう、その杉木立の枝に霞がたなびいている。確かに春がやって来たようだ。
〈1815〉
あの子が手を巻くという、その名の巻向山に春がやってくると、木々の葉を押し伏せるように霞がたなびいている。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「春の雑歌」4首。1812の「ひさかたの」は「天」の枕詞。集中50例ある枕詞で、天・雨・月などにかかりますが、語義・掛かり方とも未詳。「天の」は、香具山を称えて添える語で、慣用されているものです。香具山は、人麻呂のいた藤原京のほとりの山で、畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)とともに大和三山の一つ。「春立つらしも」の「らし」は根拠に基づく推定、「も」は詠嘆。香具山は、天から降ってきたという伝承を持ち、古来、大和の中心をなす聖なる山とされ、そのため、万葉びとにとって、その聖山に霞がたなびくことが、春の到来を確実なものと認識する根拠となったのです。
斉藤茂吉によれば、「この歌はあるいは人麿自身の作かも知れない。人麿の作とすれば少し楽に作っているようだが、極めて自然で、佶屈でなく、人心を引き入れるところがあるので、有名にもなり、後世の歌の本歌ともなった」。また、詩人の大岡信は、「いかにも人麻呂の作らしい、ゆったりした快い声調の歌であり、巻頭に置くにはまことにふさわしい歌といえる」と述べています。さらに、国文学者の池田彌三郎は、「この歌で、『このゆふべ』と、作者が展望している『時』をはっきりと言い出し、指定していることは、この叙景歌に特に生命を与えている。しかし、この言い方は多くの追随者を生んで、だんだん『この』が際どくなってきて、暦の上で春が来た『この』日、というような興味に堕していってしまう。あとに続く同類の歌のために、鑑賞を妨げられ、価値を減殺されることは致し方がないが、それはこの歌の責任ではない」とも述べています。
また、この歌を本歌として、『新古今和歌集』に「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山かすみたなびく」(後鳥羽上皇、巻第1-2)という歌があります。2首を比較すると、1812が枕詞の「ひさかたの」を使い、「天の」とともに「香具山」を装飾的に表現し、香具山に霞がたなびいたから、春が来たらしいと推定する直線的な文脈になっています。一方、新古今集の歌は、春が空に来たという捉え方に空間的な広がりが感じられ、春が来たらしい、なぜなら、香具山に霞がたなびいたから、という倒置の文脈になっています。
なお、『万葉集』には、春の到来や秋の到来を「春立つ」「秋立つ」と表現する歌が散見されます。これらは二十四節気の「立春」「立秋」から来ているともいわれますが、しかし「立夏」「立冬」に対応するはずの「夏立つ」「冬立つ」の表現は見られません。「立つ」とは、神的・霊的なものが目に見える形で現れ出ることを意味する言葉であることから、農耕生活にもっとも大切な季節とされた春と秋が、そうした霊威の現れとして意識されていたと窺えます。
1813の「巻向」は、奈良県桜井市北部、穴師を中心とした一帯で、人麻呂の妻がいた地でもあります。上3句は、霞のはっきりしない状態から「おほに」を導く序詞であり、また実景と見られます。「おほにし」の「おほに」は、明瞭でない状態、ぼんやりとしたさま。上からの続きでは視覚的な不確かさを表し、下への続きでは、いい加減な気持、なおざりな気持を表現しています。「し」は、強意の副助詞。「なづみ」は、骨を折って。「来めやも」は反語で、来るだろうか、来やしない。
1814の「いにしへの人の植ゑけむ」は、鬱蒼と茂る見事な杉木立を古人の植林の結果と見た表現。「けむ」は、過去推量。「杉」は、地名はないものの、前歌にある「巻向の檜原」に檜とともに繁茂する杉であると見られます。「春は来ぬらし」は、春は来たらしい。この歌について窪田空穂は、「心としては、霞を見て春の来たことを推量するもので、類型的なものである。しかしそれをいうに、対照法を用いて感覚的に、同時に深みある言い方をしているところに、人麿の特色がある。・・・普通の人であれば一首の取材ともなりかねるほどのものを捉え、人麿の気分に溶かして詠み生かした歌で、目には立たないが、人麿独自の、いわゆる渋い歌である」と述べています。
1815の「子らが手を」の「ら」は接尾語で、その手をまく、すなわち枕とする意で「巻向山」にかかる枕詞。「巻向山」は、檜原の東方、桜井市穴師の東方にある標高567mの山。「春されば」は、春になると。「木の葉凌ぎて」は、木の葉を押し伏せて、押さえつけて。霞の深さからそのように想像しているものです。なお、これらの歌にある「霞」と同じように視界を遮る現象に「霧(きり)」がありますが、霞が自分とは距離を隔てた所にあるのに対し、霧は自らをも包み込んでしまうものと把握されていたといいます。

大和三山について
大和三山(やまとさんざん)は、大和平野の南部、橿原市に位置する3体の山をいい、平成17年(2005年)に国の名勝に指定されました。
香具山(かぐやま)
標高152m
畝傍山(うねびやま)
標高199m
耳成山(みみなしやま)
標高140m
三山のうちもっとも神聖視されているのが香具山で、「天の」を冠するのは、天から降り来たという伝説によっていますが、その山の位置や山容が古代神事にふさわしいゆえに、あがめられたとも考えられています。この大和三山に囲まれるように、日本で初めて本格的な都となった藤原京の藤原宮跡があります。
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