| 訓読 |
1816
玉かぎる夕(ゆふ)さり来れば猟人(さつひと)の弓月(ゆつき)が岳(たけ)に霞(かすみ)たなびく
1817
今朝(けさ)行きて明日は来(き)なむとねと云ひしかに朝妻山(あさづまやま)に霞(かすみ)たなびく
1818
子等(こら)が名に懸(か)けのよろしき朝妻(あさづま)の片山(かたやま)ぎしに霞(かすみ)たなびく
| 意味 |
〈1816〉
光がほのかな夕暮れになると、狩人の弓にちなむ弓月が岳に、霞がたなびいている。
〈1817〉
今朝は帰って行き、明日はまた来ようと言い残してきた妻の、その朝妻山に霞がかかっている。
〈1818〉
愛しい人の名のように呼んでみたい朝妻の、その片山の崖に霞がかかっている。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「春の雑歌」3首。1816の「玉かぎる」は、玉の発する光がほのかで夕方の光に似ているところから「夕」にかかる枕詞。「夕さり来れば」は「夕されば」と同じで、夕方になれば。「猟人の」は、猟師が持つ弓の意で「弓月が岳」にかかる枕詞。「弓月が岳」は、巻向山の最高峰(標高567m)。「霞たなびく」は、春の季語である「霞」が横に長く引いている様子。前歌(1815)で歌った巻向山全体から、その最高峰の弓月が岳へ視点を絞っている歌です。
1817・1817は、一転して西の遠い山である朝妻山の春景を歌っています。朝妻は、現在の奈良県御所市朝妻で、聖徳太子が建立した葛城寺のあたり。朝妻山は、その地の金剛山の東麓に連なる山。「朝」と「妻」という言葉が含まれる地名であるため、当時の人々にとって非常に情緒的で、恋や親しみを連想させる響きを持っていました。
1817の上3句は朝の妻とのやり取りを言っており、「朝妻山」を導く序詞。なお、2・3句の「明日は来なむとねと言ひしかに」の原文は「明日者来皐等云子鹿丹」で訓義とも定まらず、「明日には来ねと言ひし子か」として「(今夜はお帰りになっても)明日にはまたきっと来てくださいと言ったあの子か」と解するなど、いくつかの訓みと解釈例があります。また、「明日」とあるのは、現在の意味の「明日」とは違い、「今晩」に相当するものとされ、日没から一日が始まるという考え方によります。
1818の「子等」は、男性が女性を親しんで呼ぶ語であり、「ら」は複数形ではありません。「名に懸けのよろしき」は、名を関係させて言うのによい、呼ぶのにちょうどよい。上3句は、その意味で「朝妻」を導く序詞。「片山ぎし」は、平野側の方にだけ傾斜面がある山の断崖面。1817との連作関係になっており、「朝妻」という名から、妻の朝の様子を思い起こしています。共に夜を過ごした男性から見て、翌朝の妻の様子というのは、夜にもまして親密で愛しいということなのでしょう。

朝妻
「朝妻」の地名の語源は不明ながら、「アサ」は崩崖(ほうがい)、浅く水を湛える湿地、「ツマ」は末端、~の間を意味するという説があります。朝妻の地名にちなむ氏族として朝妻氏がおり、飛鳥寺の塔の作金人(さくきんにん)であった阿沙都麻首未沙乃(あさづまのおびとみさの)、官人の朝妻造綿売(あさづまのみやっこわため)らは、この地を本貫(ほんがん)としたと伝えます。いずれも渡来系氏族で、早くから渡来人の居住地だったとされます。
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