| 訓読 |
1832
うちなびく春さり来ればしかすがに天雲(あまくも)霧(き)らひ雪は降りつつ
1833
梅の花(はな)降り覆(おほ)ふ雪を包み持ち君に見せむと取れば消(け)につつ
1834
梅の花(はな)咲き散り過ぎぬしかすがに白雪(しらゆき)庭に降り重(し)きりつつ
1835
今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春へとなりにしものを
1836
風(かぜ)交(まじ)り雪は降りつつしかすがに霞(かすみ)たなびき春さりにけり
| 意味 |
〈1832〉
草木がなびく春になったというのに、それにもかかわらず、空に雲が立ち込めて、雪
が降り続いている。
〈1833〉
梅の花を降り覆っている雪を包み持ち、あの人に見せようとするのですが、手に取るそばから消えてゆきます。
〈1834〉
梅の花は散ってしまいました。なのに、庭に白雪が降りしきっています。
〈1835〉
今さら雪なんか降るものか、かげろうが燃える春になったのだから。
〈1836〉
風に交じって雪は降り続いているけれど、あたり一面には霞がたなびいていて、春がやってきている。
| 鑑賞 |
「雪を詠む」作者未詳歌5首。1832の「うちなびく」は「春」の枕詞。春は草木が打ち靡く季節であるから。「さり来れば」は、やって来れば。「しかすがに」は、しかしながら、そうはいうものの。「天雲霧らひ」は、空に雲や霧が立ちこめるさま。「霧らひ」は霧がかかる、覆われる意で、視界の曖昧さを通して季節の移行期の不安定さを表しています。「雪は降りつつ」の「つつ」は継続で、雪が一時的ではなく、なお降り続いていることが強調されています。窪田空穂は、「季節そのものの中に含まれている矛盾性を痛感した心である。季節の移り目に、二つの季節が相交錯するのは、季節感の最も強く起こる時であるが、憧れの季節である春にはことにその感の強いもので、この歌はそれである」と述べています。
1833の「梅の花降り覆ふ」は、梅の花の上に降り覆っている。「取れば」は、手に取れば。「消につつ」の「つつ」は、継続。梅の花に降りかかる雪という、早春ならではの美的情景を題材としながら、その美が保持し得ないものであることを詠んだ一首です。作者は、自然の妙を「君」と共有しようとして雪を手に取るものの、その瞬間に雪は解けて失われてしまう。この具体的な動作描写によって、美のはかなさと、人の思いの無常性とが直感的に示されています。前歌との連作的な趣も感じられます。
1834の「咲き散り過ぎぬ」は、満開を経て散りこぼれる意で、「散る」に意味の重点を置いた表現。「降り重き」の「重き」は、幾重にも積もる意。「つつ」によって、その状態が継続していることが示され、冬の執拗さが強調されています。この歌も1832と同じく、季節の矛盾を嘆いているもので、季節の転換が容易ではないことを強く印象づける歌となっています。
1835の「降らめやも」の「やも」は反語で、降るなんてことがあろうか、ありはしない。冬の終焉を断言する調子を帯びています。「かぎろひ」は、陽炎で、春先に立ちのぼる気や揺らめく光のこと。「燃ゆる」は、その視覚的印象を炎に喩えた表現。「春へ」は、春のころの意。「なりにしものを」の「ものを」は、逆接の中に詠嘆をこめる語法。本歌は、前歌までに繰り返し詠まれてきた「春でありながら雪が降る」という不安定な季節感に、明確な転換点を示す一首となっています。「今さらに雪降らめやも」という反語によって、作者は冬の逆戻りを否定し、季節が決定的に春へ移ったことを強調しています。特に「かぎろひの燃ゆる春」という表現は、これまでの歌群で雲、霧、雪といった白く冷たいイメージが支配的だったのに対し、「燃ゆる」という語によって、色彩と温度を伴った春の気配が一挙に立ち現れています。視覚的にも感覚的にも、季節の質が変化したことが明確に示されている歌です。
1836の「風交り雪は降りつつ」は、山上憶良の巻第5-892に類似の句法が見えます。「しかすがに」は、しかしながら、そうはいうものの。「春さる」は、春になる。「けり」は、気づきの詠嘆。雪と霞という対照的な季節語を一首の中に併置し、冬から春への移行が同時進行であることを詠んだ一首であり、雪が「風交り」降り続いているという現実を否定せずに受け止めつつ、「しかすがに」以下で霞の出現を示すことで、春の到来を確かなものとして言い切っている点に特徴があります。

つつむ(包む)・つつみ(堤・障)
ある物を別の物で隙間なく覆いくるみ、外部との接触を遮断する意。そこから、心のありさまを表沙汰にしないこと、例えば、恋や涙などを隠す、遠慮する、などの意味が派生したと考えられる。ツツムのツツは、包んだ物、すなわち土産、贈り物を意味する「つと」と同根とされる。
ツツムが包含する意味は、現在の一般表記では「包」「慎」となる。外部との遮断に意が強くなると「障」となり、水の流れを堰き止める意味で限定すると「堤」となる。災厄などが生じて謹慎することを「障(つつ)む」という。その名詞形が「障み」。下に否定を表す「なし」を伴った「障むことなく」「障みなく」などの形を取り、支障なくという意で歌われることが多い。特に、危険を伴う船旅を詠じた歌で、「障みなく」早く帰って来ることを望むのが、『万葉集』の定型表現であった。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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