| 訓読 |
1841
山高み降り来る雪を梅の花散りかも来ると思ひつるかも [一云 梅の花咲きかも散ると]
1842
雪をおきて梅をな恋ひそあしひきの山(やま)片付(かたづ)きて家(いへ)居(ゐ)せる君
1843
昨日(きのふ)こそ年は果てしか春霞(はるかすみ)春日(かすが)の山に早(はや)立ちにけり
1844
冬過ぎて春(はる)来(きた)るらし朝日さす春日(かすが)の山に霞(かすみ)たなびく
1845
鴬(うぐひす)の春になるらし春日山(かすがやま)霞(かすみ)たなびく夜目(よめ)に見れども
| 意味 |
〈1841〉
山が高いので、上からはらはらと降りかかってくる雪、それを梅の花びらが風に散っているのかと思い込んでいました。[梅の花が咲いてもう散っているのかと]
〈1842〉
せっかくの雪をさしおいてそれほど梅を恋い慕いなさいますな、山の麓に家を構えておられるあなた。
〈1843〉
つい昨日、年が暮れたばかりだというのに、もう春霞が春日山にかかっている。
〈1844〉
冬が過ぎ去って春がやってきたらしい。朝日がさしている春日山に霞がたなびいている。
〈1845〉
ウグイスの鳴く春がやってきたようだ。春日山にはもう霞がたなびいている、夜目にもはっきりと。
| 鑑賞 |
1841・1842は「雪を詠む」作者未詳歌。左注に「右の二首は問答」とあり、1841は、高山の裾に住んでいる人が京にいる友に贈った歌、1842は、それに京の人が答えた歌とされます。1841の「山高み」の「高み」は「高し」のミ語法で、山が高いゆえに。高山にはなお雪が残るという地理的・季節的認識が前提にあります。「散りかも来ると」の「かも」は、疑問的詠嘆。視点は低地に置かれ、空間的奥行きが意識されています。「思ひつるかも」の「つる」は完了・回想、「かも」は詠嘆。降ってくる雪を梅の花の散りと見間違えたという、視覚的錯覚を主題とする一首です。
1842の「雪をおきて」は、雪をさしおいて。「梅をな恋ひそ」のナ~ソは、懇願的な禁止。原文「梅莫戀」で、ウメニナコヒソと訓むものもあります。雪を愛でたいものとしての心で、春への憧れをあえて抑制する思いが窺えます。「あしひきの」は「山」の枕詞。「山片付きて」は、山裾に寄って接して。窪田空穂は、「奈良時代の知識人の社交の歌で、どちらもある程度のいや味をもったもの」と評しています。一方、伊藤博は、「問答」とあることから、贈答歌とは違い、相対してやり取りした歌だと見るべきであり、山裾に住む人を友人が訪れ、そこでの宴席で交わしたものと捉えています。1首目は客を迎えた主人の歌であり、雪が降り覆う山家ゆえ、もてなす風流もないとの気遣いから、雪を梅に見立てる歌を詠んだのであり、2首目を詠んだ客人は、主人の梅への執心を否定することで、雪だけのこの風景に満足している気持を示したものだといいます。『古典集成』にはさらに、「梅に対する執心を揶揄する形で、相手の風流心をほめた歌」とあります。
1843~1845は「霞を詠む」作者未詳歌で、いずれも春日山にかかる霞を詠んでいます。「春日山」は、 奈良市の東部にある、御蓋山(みかさやま)、若草山などの山の総称。古くから神が鎮座するという神奈備山として崇敬され、特に平城京遷都以後は朝廷から尊ばれました。殺生禁断が守られてきたため、広大な原生林(春日山原始林)が今日まで残されています。また、ここの「霞」と同じように視界を遮る現象に「霧」がありますが、霞が自分とは距離を隔てた所にあるのに対し、霧は自らをも包み込んでしまうものと把握されていたようです。
1843の「昨日(きのふ)こそ年は果てしか」の「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形で、強調の「こそ」の係り結び。昨日までで年は終わったばかりなのに、の意。「春霞」は、春の始まりを告げる存在。「早立ちにけり」の「けり」は、気づきの感動の助動詞。この結句は、喜び一色ではなく、驚きとともに、自然の動きの迅速さ、あるいは人の感覚を超えた確かさへの畏敬を含んでいるとされます。
1844の「冬」と「春」の原文はそれぞれ「寒」「暖」の文字があてられており、感覚を重視した表記になっています。「来るらし」の「らし」は、客観的根拠に基づく推量。霞という自然現象を根拠として、春の到来を判断しています。「朝日さす春日の山」という描写により、霞は単なるぼんやりとした気象現象ではなく、光に照らされて美しく立ち現れる存在として描かれています。これにより、歌全体が明るく開放的な印象を帯び、前歌の驚きを含んだ調子から、落ち着いた確信へと移行しています。また、持統天皇の香具山に夏の到来を確かめる巻第1-28の歌が連想される歌でもあります。
1845の「鶯の」は「春」の枕詞とする説もありますが、鶯の鳴く春と見るのが一般的。「夜目」は、夜の闇の中で見ること。前歌が朝景を背景にしていたのに対し、本歌では「夜目に見れども」と、時間帯を夜に移すことで、春の気配が一時的なものではなく、持続的・遍在的であることを示しています。
季節の移ろいをうたった歌に「春日」や「春日野」「春日山」が多く出てきますが、『万葉集』の歌はほとんど平城京の人々の歌であるため、都の人々はその周辺に季節の変化を感じ、そこに出かけて花や黄葉を称えていたらしく、これらの歌にも奈良朝時代の耽美気分がよく現れています。また、春日野で皇族や臣下の子弟たちが春日野に集まって打毬(だきゅう)の遊びをしたとの記述もみられ(巻第6-948・949の左注)、都人にとっては格好のレジャー空間だったようです。

アメリカにおける『万葉集』研究
アメリカにおける『万葉集』研究は、20世紀前半から徐々に発展し、現在では日本古典文学・比較文学・東アジア研究の分野で重要な位置を占めています。その流れは、おおよそ次のようなものです。
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