| 訓読 |
1846
霜枯(しもが)れの冬の柳(やなぎ)は見る人のかづらにすべく萌(も)えにけるかも
1847
浅緑(あさみどり)染め懸けたりと見るまでに春の柳(やなぎ)は萌(も)えにけるかも
1848
山の際(ま)に雪は降りつつしかすがにこの川柳(かはやぎ)は萌(も)えにけるかも
1849
山の際(ま)の雪の消(け)ざるをみなぎらふ川の沿ひには萌(も)えにけるかも
| 意味 |
〈1846〉
霜で枯れた冬の柳は、見る人の髪飾りにしたらよいほどに、芽が出ていることだ。
〈1847〉
まるで浅緑色に染めた糸を木にかけたように、春の柳が芽吹いていることだ。
〈1848〉
山間には雪が降っているけれども、この川楊は芽吹いていることだ。
〈1849〉
山間の雪はまだ消えていないのに、水があふれるこの川沿いでは、もうすっかり芽吹いていることだ。
| 鑑賞 |
「柳を詠む」作者未詳歌8首のうちの前半4首。1846の「霜枯れ」は、植物が霜に当たって萎れること。「柳」は、しだれ柳。「かづら」は、植物を巻きつけて髪飾りにしたもの。『万葉集』ではさまざまな植物を「かづら」にすることが詠まれていますが、柳のかづらを詠む例が圧倒的に多く、その強い生命力にあやかってのこととみえます。「萌えにけるかも」の「萌え」は、芽が膨らむ意。「けるかも」は、過去の助動詞「ける」と詠嘆の「かも」。霜に枯れたはずの柳が萌え出るという事実に、厳しい冬の自然の中、なお兆す生命の力への驚嘆が歌われている一首です。
1847の「浅緑」は、うす緑色。「浅」は、染め方が薄い意。「染め懸けたり」は、芽吹いた柳の枝を、うす緑色に染めた糸を竿などに懸けた表現。「見るまでに」の「まで」の原文「左右」は、左右の両手をマテ(真手)ということに基づく用字。若葉した柳をやや遠くから眺めての感であり、自然の変化を人事に見立てている点に特色があります。また、前歌が厳冬の中に兆す萌芽への驚きを示したのに対し、本歌は完全に春に転じた景を捉え、色彩の広がりをもって生命の充溢を表現しています。両歌を続けて読むことで、柳を媒介とした季節推移の連続性がより鮮明になってきます。
1848の「山の際に雪は降りつつ」の「山の際」は、山と山の間。遠景としての山になお雪が降り続いている情景を提示し、季節が完全には春に移行していないことを示す序景となっています。「降りつつ」と継続を表す表現は、寒さが依然として持続している様子を示しています。「しかすがに」は、そうではあるが。「川柳」は、ネコヤナギ。本歌の眼目は、同一の時間・空間の中に冬と春という異なる季節が併存している点にあり、遠くの山には雪が降り続き、近くの柳は萌え出るという構図によって、自然界の複雑で微妙な季節移行の現実を鮮明に描き出しています。
1849の「みなぎらふ」は、水があふれる意の「みなぎる」の継続態。「沿ひ」は、動詞「沿ふ」の名詞形。「萌えにけるかも」の主語が明示されていませんが、1846から続く連作的文脈を踏まえれば、川辺の柳の萌芽を指すと解されます。本歌の構図は、「消え残る雪」「みなぎる川」「萌え出る川辺」という三層の自然現象を配し、冬から春への移行過程を立体的に捉えた点に特色があります。静と動、寒と温、停滞と生成とが同時に存在する早春の自然の複雑さが、簡潔な言葉によって的確に表現されています。また、結句の「かも」は、そうした相反する景の中に見出した生命の確かさへの感動を、抑制された詠嘆として締めくくっています。厳冬の名残を否定するのではなく、それを包み込みつつ芽吹く生命を見つめる姿勢に、万葉人の自然観と季節感受性がよく表れた一首と評価されます。
柳はヤナギ科の樹木の総称で、ふつうに指すのは落葉高木のシダレヤナギです。細長い枝がしなやかに垂れ下がり、春早く芽吹くので、生命力のあるめでたい木とされます。シダレヤナギに「柳」の字を使い、ネコヤナギのように上向かって立つヤナギには「楊」を用いて区別することもあります。ここの4首は、前2首がシダレヤナギ、後2首が川柳(ネコヤナギ)を詠んでいます。『万葉集』では、川柳が4首詠まれていますが、他の40首にも及ぶ柳は、いずれもシダレヤナギを歌っています。

『万葉集』クイズ
それぞれの歌の〇の中に当てはまる語を、ひらがなで答えてください。
【解答】 1.あめ(天) 2.むな(空) 3.しろがね(銀) 4.かぐ(香具) 5.のもり(野守) 6.うねめ(采女) 7.ともしび 8.ましろ(真白) 9.しるし(験) 10.よのなか(世間)
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