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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-1854~1858

訓読

1854
鶯(うぐひす)の木(こ)伝ふ梅のうつろへば桜の花の時(とき)片設(かたま)けぬ
1855
桜花(さくらばな)時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今し散るらむ
1856
我(わ)がかざす柳の糸を吹き乱(みだ)る風にか妹(いも)が梅の散るらむ
1857
年のはに梅は咲けどもうつせみの世の人の我(わ)れし春なかりけり
1858
うつたへに鳥は食(は)まねど縄(なは)延(は)へて守(も)らまく欲(ほ)しき梅の花かも

意味

〈1854〉
 鶯が木から木へと伝う梅の花が散っていくと、いよいよ桜の花が咲く頃がやってくる。
〈1855〉
 桜の花は、まだ散る時ではないのに、愛でてくれる人がいるうちにと思って、今散ってしまうのだろうか。
〈1856〉
 私が髪に挿している柳の小枝を吹き乱す風で、あの子の家の梅も散っているであろうか。
〈1857〉
 毎年のように梅の花は決まって咲くけれども、現実の世の人である私には、春など巡ってこない。
〈1858〉
 必ずしも鳥が食べてしまうというわけではないが、しめ縄を張って守ってやりたいと思うほど美しい梅の花だ。

鑑賞

 「花を詠む」作者未詳歌5首。1854の「木伝ふ」は、枝から枝へと飛び移る。「うつろへば」の「うつろふ」は「うつる」の継続態で、ここは、梅の花が盛りを過ぎ、次第に色褪せ、散り始めることを意味する語。「片設く」は、心待ちにしていた時が近づく意。梅から桜へという春の主役交代を、鶯の動きと花の盛衰によって簡潔に描き出しており、この歌の重心は桜にあります。特定の感情を強く前面に出すのではなく、自然の時間の流れそのものを淡々と捉えることで、かえって季節の無常と充実とが深く印象づけられる歌となっています。

 
1855の「時は過ぎねど」の「時」は、花の最盛期。桜の花の季節がすでに終わってしまったわけではないのに、の意。「今し散るらむ」の「し」は強意の副助詞、「らむ」は現在推量。推量を含みつつも、眼前で散りゆく花への切実な実感を伝えています。本歌の核心は、自然の時間と人の感情との齟齬にあります。季節としてはなお桜の時であるにもかかわらず、人が最もその美を求め、惜しむ瞬間に、花は散ってしまう。その不可避のずれが、桜の無常性をいっそう際立たせています。

 
1856の「柳の糸」は、漢語の「柳糸」からきており、柳の細い枝を糸に喩えて表現しているもの。「吹き乱る風」は、その柳の糸を乱す春風のことで、穏やかな春の息吹であると同時に、美を損なう作用でもあり、自然の二面性が示唆されています。本歌の特色は、柳と梅という二つの春の象徴を、風という媒介によって結びつけている点にあります。自分に身近な柳が風に乱れる現象を手がかりに、遠くにいる恋人の庭の梅の散り際を思いやる構成は、自然現象を通して心情が連関する『万葉集』の典型的手法といえます。なお、第1句の原文「我刺」を「我が刺しし」と訓み、「私が挿し木をした柳の小枝を吹き乱す風で、妹の家の梅の花は散っているだろうか」のように解釈するものもあります。

 
1857の「年のは」は、毎年。原文「毎年」で、トシゴトニと訓むものもあります。「うつせみの」は、現に見えるもの、現に存在するものの意が原義で「世の人」にかかる枕詞。「世の人我れし」の原文「世人君羊蹄」ですが「君」を「吾」の誤字と見ています。「し」は、強意の副助詞。人としてこの世に生きてきた間という意味合いを持ち、自己の人生全体を振り返る視線が感じられる句です。「春なかりけり」の「けり」は詠嘆で、自分には「春」と呼べるような喜びや充実の時がなかった、という深い嘆息を表しています。本歌の核心は、自然の恒常性と人間の生の不充足との対照にあり、前歌までが、柳・梅・桜といった春の象徴を通して、恋や美のはかなさを詠んでいたのに対し、本歌ではそれらを踏み越え、人生観的な省察へと至っています。

 
1858の「うつたへに」は、打消しの語を伴い、必ずしも、めったに、の意。「縄延へて」は、標縄を張って他の侵入を防ぐ意。「守らまく」は「守らむ」のク語法で名詞形。理知と感情との乖離を巧みに詠んでおり、理屈の上では守る必要はないと分かっていながら、感情としてはどうしても守りたい。その人間的な心理の揺れが、素朴な言葉遣いの中に生き生きと表現されています。また、前歌が、自然の循環と自己の人生の空虚とを対照させた沈鬱な歌であったのに対し、この歌では再び自然美への執着と愛惜が前面に出ています。梅の花はここで、単なる春の象徴ではなく、「失いたくないもの」の具体的な象徴として機能しています。鳥害という現実的な発想を導入しつつ、それをあえて否定する形で美への愛着を強調する構成には、万葉歌に特有の率直さと生活感覚がよく表れていて、とても親しみ深い一首となっています。

 『万葉集』の歌の、約3分の1が何らかの植物を詠んでいるといわれ、その植物の数は170種を超えます。最も多く詠まれたのは、萩の137首、次いで梅の119首、桜は意外に少なく42首とされています。
 


『万葉集』クイズ

 それぞれの歌の〇のある句が枕詞となるように、ひらがなで答えてください。

  1. 〇〇〇〇の命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食む
  2. 〇〇もよし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも
  3. 〇〇〇〇〇旅行く君と知らませば岸の埴生ににほはさましを
  4. 〇〇鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ
  5. 〇〇〇〇〇奈良の宮には万代に我れも通はむ忘ると思うな
  6. 海の〇〇沖つ白波龍田山いつか越えなむ妹があたり見む
  7. 〇〇〇〇の山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに
  8. 〇〇〇〇の天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも
  9. 〇〇〇〇の明石大門に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず
  10. 〇〇〇〇の八十氏河の網代木にいさよふ波の行く方知らずも


【解答】 1.うつせみ 2.あさ(麻) 3.くさまくら(草枕) 4.とぶ(飛ぶ) 5.あをによし 6.そこ(底) 7.あしひき 8.ひさかた 9.ともしび 10.もののふ

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