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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-1864~1868

訓読

1864
あしひきの山の際(ま)照らす桜花(さくらばな)この春雨(はるさめ)に散りゆかむかも
1865
うち靡(なび)く春さり来(く)らし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば
1866
雉(きざし)鳴く高円(たかまと)の辺(へ)に桜花(さくらばな)散りて流らふ見む人もがも
1867
阿保山(あほやま)の桜の花は今日(けふ)もかも散り乱(まが)ふらむ見る人なしに
1868
かはづ鳴く吉野の川の滝(たき)の上(うへ)の馬酔木(あしび)の花ぞはしに置くなゆめ

意味

〈1864〉
 あの、山あいを明るく彩っている桜の花は、今降っている春雨で散ってゆくのだろうか。
〈1865〉
 草木も靡く春がやってきたようだ。山あいの遠くの梢が、次々に花開いていくのを見ると。
〈1866〉
 雉が鳴く高円の山のあたりに、桜の花が散って風に流されていく。この美しい光景を、誰か一緒に見る人がいたらよいのに。
〈1867〉
 阿保山の桜の花は、今日もまた散り乱れているだろうか。見る人もないままに。
〈1868〉
 これは、河鹿の鳴く吉野川の滝のほとりに咲いていた馬酔木の花ですよ。決して粗末にしないでください。

鑑賞

 「花を詠む」作者未詳歌5首。1864の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山の際照らす」の「山の際」は、山と山の間。「照らす」という語は、花の色や量感が放つ視覚的な輝きを強調し、山景を一変させるほどの存在感を示しています。「散りゆかむかも」は、散ってゆくのだろうか。光に満ちた現在の美と、それを脅かす自然の力とを対置した点にこの歌の眼目があり、春雨は、本来は恵みをもたらす柔らかな雨ですが、ここでは桜の盛りを終わらせる契機として作用し、美のはかなさを緊張感をもって際立たせています。

 
1865の「うち靡く」は、春の草木がやわらかく靡く意で「春」の枕詞。「春さり来らし」は、春がやって来たらしい。「木末」は、木の枝の先端。春の到来を、身近な気候変化ではなく、遠景の変化によって捉えています。「うち靡く」という柔らかな動詞と、「遠き木末」という静かな視点とが響き合い、春の訪れが急激ではなく、自然の摂理に従って静かに進行するさまが印象深く描かれていて、冬から春への移行を感覚と言葉の両面で繊細に捉えた、余情豊かな季節詠と言えます。

 
1866の「高円」は、奈良市東部の春日山の南にある山。都に近いがゆえに、人の営みと自然とが近接する場所であり、『万葉集』では、狩猟・遊覧・宴など、宮廷生活の延長としての山野景としてしばしば詠まれています。「流らふ」は「流る」の継続態で、ここは花弁が風に吹き流されて漂う意。ゆるやかなニュアンスを含み、静かな時間の推移を感じさせる語でもあります。「見む人もがも」の「もがも」は、願望の終助詞。深山の孤絶ではなく、人の訪れを前提とした場所であるからこそ、この希求が自然に成立します。

 
1867の「阿保山」は、所在未詳ながら、奈良市佐保田町の不退寺あたりの丘陵か。人里からやや離れた山野として意識されています。「桜」の原文「佐宿木」となっており、「宿木」は、神の宿り給う神座の意を意味する文字だと言います。「今日もかも」の「かも」は、疑問の助詞。「散り乱ふ」は、花びらが無秩序に舞い散るさまを表し、桜の終末期に特有の動的な美を強調する語です。「今日もかも」の句から、その散華が一過的な現象ではなく、日を重ねて繰り返されていることが分かります。「見る人なしに」と、それを見届ける人がいないという認識が、強い哀感を伴って提示されており、花の美と人の不在との落差が、この一語によって決定的に印象づけられています。

 
1868の「かはづ」は、清流に棲むカジカガエル。「吉野の川の滝の上の」と続くことで、吉野川の流れの中でもとりわけ滝の上という高所・清浄な場所が指定され、俗世から隔てられた聖性の高い空間が暗示されます。「馬酔木」は、ツツジ科の常緑低木で、早春に多くのつぼ状の白い有毒の花を咲かせます。「はしに置く」は、粗末に扱う、そっちのけにする。「ゆめ」は強い禁止を表す副詞で、軽い忠告ではなく、畏れを伴う警告として響きます。本歌の眼目は、美と危険、清浄と禁忌とが同時に成立する自然観にあります。馬酔木の花は、美しいが無害ではない。とりわけ吉野川の滝上という神聖な場に咲くそれは、単なる鑑賞の対象ではなく、敬意をもって接すべき存在として詠まれています。
 


なびく(靡く)

 ナビクは、外部から働く力の作用によって、その対象が一定の方向に向けられてしまうことをいう。植物などが風や波を受けて揺れ動き倒れ伏すことや、人の心が相手に揺れ動き寄ってしまうことを表す。人の心に関わる後者も、「人の威力や魅力、周囲の状況などに引かれて」(「日国大」)と解釈できる。受動的な状態を表すことばである。単にナビクというほか、勢いを表す接頭語ウチを冠したウチナビクの形で用いられることも多い。また、特に、横にナビクことをタナビクという。タナビクのタナは「棚」と同根。雲や霞、煙などが横方向に長く引き伸びることを表す。『万葉集』では、植物のナビクさまを人事に転換して詠み込む場合が多い。特に、人麻呂は藻がナビクさまを意識的に詠じた歌人である。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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