| 訓読 |
1894
霞(かすみ)立つ春の長日(ながひ)を恋ひ暮らし夜(よ)も更けゆくに妹(いも)も逢はぬかも
1895
春されば先(ま)づ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)
1896
春さればしだり柳(やなぎ)のとををにも妹(いも)は心に乗りにけるかも
1897
春さればもずの草(くさ)ぐき見えずとも我(あ)れは見やらむ君があたりをば
1898
貌鳥(かほどり)の間(ま)なくしば鳴く春の野の草根(くさね)の繁(しげ)き恋もするかも
| 意味 |
〈1894〉
霞がかかった春の長い一日を恋い焦がれて過ごし、夜も更けてきたけれど、あの子がひょこっと現れて逢ってくれないものか。
〈1895〉
春が来ると、まず咲き出す三枝(さきくさ)のように、無事でいたなら後に逢えるのだから、そんなに恋しがらないでおくれ、わが妻よ。
〈1896〉
春が来ると芽吹くしだれ柳の枝がたわむように、愛しいあの娘が私の心にずっしりと乗りかかってきて、心がいっぱいだ。
〈1897〉
春になるとモズが草の中に潜んで姿が見えなくなるように、たとえお姿は見えなくとも私は遠くから見ていましょう、あなたの住んでいる辺りを。
〈1898〉
貌鳥がしきりに鳴いている春の野に、草がどんどん茂っていくように、盛んに恋をすることだ。
| 鑑賞 |
1894~1896は『柿本人麻呂歌集』から「春の相聞」3首で、いずれも男の歌。1894の「霞立つ」は「春」の枕詞。「夜も更けゆくに」の原文「夜深去」で、ヨノフケユケバ、ヨノフケユキテ、ヨモフケユクヲほか、さまざまに訓まれています。「妹も逢はぬかも」の「ぬか」は、打消しの助動詞「ぬ」に疑問の助詞「か」が付いたもので、願望を表します。妻に逢いたい気持ちを、妻(妹)を主格にして言っています。前半の「霞立つ春の長日」は、視覚的にも時間的にも広がりをもつ表現であり、その伸びやかさが、後半の「逢はぬかも」という結句によって一転して閉塞へと収束する構成となっており、自然の豊かさと人の心の欠如との対照が際立ちます。また、「恋ひ暮らし」「夜も更けゆくに」という連続する時間表現により、昼から夜へと移ろう一日の経過が丁寧に追われています。その流れの中で、期待が裏切られ続ける心情が、説明を要せずに浮かび上がります。
1895の「春されば」は、春が来ると。「三枝」は、枝が三つに分かれている植物のことだといわれ、三椏(みつまた)、山百合、笹百合、沈丁花などのうちのどれかではないかとされますが、はっきりしません。上2句は二重の序詞になっており、「先づ」までが「咲く」の縁で「三枝」を導き、上2句が「さき」の同音で「幸(さき)」を導いています。「幸く」は、無事に、つつがなく。「な恋ひそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。別離の場面における慰撫と約束の歌であり、「先づ三枝の幸くあらば」という表現は、語音の重なりによって祝福性を高め、呪的とも言える力を帯びています。『万葉集』にしばしば見られる、言葉そのものに願いを託す発想がよく表れており、恋の切実さを前面に出すのではなく、相手の安寧と未来の再会を第一に願う姿勢が特徴的です。
1896の「春されば」は、春が来ると。上2句は、しだり柳が長く撓む意で「とををに」を導く序詞。「とををに」は、しなやかに撓みしなうほどに。「たわわ」と同意。「心に乗る」は、霊魂などが取り憑いて離れなくなる、心の中を好きな女が占めている意で、その重みが嬉しい、と言っています。万葉人に好まれたフレーズだったようで、集中に6例ほど見られる類型的表現です。上代の人々にとっては、とても力のあった表現だったと見え、ただし、男が女に対していう場合に限られます。「乗りにけるかも」の「に」は、完了の助動詞。「ける」は、いわゆる気づきの助動詞「ける」。「かも」は、詠嘆。
1897・1898は「鳥に寄せる」作者未詳歌。1897の「春されば」は、春になると。「草ぐき」は、草に潜る意。上2句は、もずが野山の草木の間に潜んで姿を見せない習性があることから「見えず」を導く序詞。「見やらむ」の「見やる」は、目を向けて遠くを見る意。「君があたり」の「君」は夫(恋人)で、夫が住んでいるあたり。視界を遮る自然物を引き合いに出しながら、変わらぬ思慕の持続を詠んだ女の歌です。春は草木が繁茂し、かえって見通しが悪くなる季節でもあり、その物理的状況を、夫に直接会えない状態に重ねています。
1898の「貌鳥」は、美しい鳥またはカッコウ。「しば鳴く」は、しきりに鳴く。「草根」の「根」は接尾語で、地中に根を張っている草。初句から「草根の」までが、絶え間ない意の「繁き」を導く譬喩式序詞。鳥の声と草の根という二つの自然現象を重ね合わせ、恋情の頻度と深度を同時に表現しており、鳴き声の「間なき」反復は、恋心が絶えず胸に湧き起こる状態を示し、「草根の繁き」は、その思いが表層的でなく、内奥にまで絡みついていることを象徴しています。男女どちらの歌とも取れます。

上代の暦法
和語の「こよみ」とは「日(か)読み」の意であり、日を数えることを原義とする。『日本書紀』には、欽明天皇15年(554年)2月および推古天皇10年(602年)10月に暦の伝来に関する記述を見るが、実際の暦法の採用は、持統天皇4年(690年)11月の勅命(「勅を奉りて元嘉暦〈がんかれき〉と儀鳳暦〈ぎほうれき〉とを行ふ」)によるものと考えられている。持統天皇6年の元嘉暦施行以後、上代関係の暦の施行は、文武天皇6年の儀法暦施行、天平宝字8年(764年)の大衍暦(たいえんれき)施行をあげることができる。
元嘉暦・儀鳳暦・大衍暦は、一般に太陰太陽暦よ呼ばれる。月の運行を単位として朔月(さくげつ)から次の朔月までを1か月とし、12か月を1年とするが、それでは太陽の運行による実際の季節の推移が暦より遅れるため、閏(うるう)月を置き1年を13か月とする年を設けて、実際の季節の推移に合せようとするものである。閏月は19年に5回と9年に2回を組み合わせて置かれ、二十四節気の中気を含まない月を閏月とし、その前月と同じ月とした。二十四節気は、太陽の運行にしたがって、冬至から翌年の冬至までを24等分し、12の中気と12の節気を交互にとったものである。
『万葉集』の季節の歌には春の到来・秋の到来をうたう歌が圧倒的に多く、夏・冬の到来をうたう歌がきわめて少ないこと、春・秋を対とする対句表現が歌謡を含めて普遍的にみられることから、農耕社会であった日本古来の季節意識は春・秋の二分法だったのではないかという推測もなされている。少なくとも、季節が粛々と流れていく暦法の季節意識とは異なる意識であったことは確かであろう。
~『万葉集ハンドブック』/三省堂から引用
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