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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-1899~1903

訓読

1899
春されば卯(う)の花ぐたし我(わ)が越えし妹(いも)が垣間(かきま)は荒れにけるかも
1900
梅の花咲き散る園(その)に我(わ)れ行かむ君が使(つかひ)を片待(かたま)ちがてり
1901
藤波(ふぢなみ)の咲く春の野に延(は)ふ葛(くず)の下(した)よし恋ひば久しくもあらむ
1902
春の野に霞(かすみ)たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも
1903
我(わ)が背子(せこ)に我(あ)が恋(こ)ふらくは奥山の馬酔木(あしび)の花の今盛りなり

意味

〈1899〉
 春になると、卯の花を傷めながら私が潜り抜けていた、あの子の家の垣間は、今や荒れ果てて人気(ひとけ)がなくなっている。
〈1900〉
 梅の花が咲いて散るあの美しい園に私は出かけようと思う。あの方のお誘いの使いを心待ちにしながら。
〈1901〉
 藤の花が咲く春の野に葛が這うように、心の奥底で密かに恋い続けても、この思いはいつまでも果てしなく続くのだろう。
〈1902〉
 春の野に霞がたなびいて、花々がこのように見事に咲き乱れても、逢って下さらないあなたです。
〈1903〉
 私のいい人に恋する心は、奥山のあしびの花のように、今が真っ盛りです。

鑑賞

 作者未詳の「花に寄せる」歌5首。1899の「卯の花ぐたし」の「ぐたし」は本来は清音で、熟語のために濁音になっており、「くたす」は腐らせる、朽ちさせる意。「垣間」は、生垣の隙間。「卯の花」は、旧暦4月の卯月に咲くのでこの名が付いた、あるいは、卯の花が咲く月なので「卯月」となったともいわれます。「妹が垣間」は、人目を忍んで逢瀬を重ねた場を象徴しています。春の自然の繁茂を背景に、過去の恋の断絶と時間の経過をしみじみと詠んだ一首ですが、この歌が詠まれた事情はよく分かりません。かつて通った女の家が様変わりしてしまったのを嘆いており、恋人が心変わりしていなくなってしまったのでしょうか。

 
1900の「咲き散る」は「散る」に重点を置きながらも、花の極限の美の表現。「君が使」は、思い人からの便りを持ってくる使者。「片待ちがてり」の「片待つ」は、一途に待つ。「がてり」は、~しながら、かたがた。原文「片待香花光」の「香花光」は、かぐわしい花が咲く意で、美しい花が咲き誇るさまを念頭に置いた表記とされます。窪田空穂は、「ある程度の身分ある娘の歌である。気分が少なく、画面を想像させる歌である。あるいは題画の歌ではないか」と言っています。

 
1901の「藤波」は、藤の花房が風に揺れるさまを波に見立てた雅語で、藤の花のこと。上3句は、葛が草葉の下を延びていくようにの意で「下よ」を導く序詞。「下よし恋ひば」の「下」は、目に見えない奥底、つまり心の意。上代に用いられた「心」の類語に「うら」と「した」があり、『万葉集』では「うら」は26首、「した」は23首の用例が認められます。「うら」は、隠すつもりはなく自然に心の中にあり、表面には現れない気持ち、「した」は、敢えて隠そうとして堪えている気持ちを表わしているといいます。「よ」は「ゆ」と同意の格助詞で、より、の意。「し」は、強意の副助詞。心の中で恋していたら。窪田空穂は、「懸想の心を抱きながら言い出せずいる男が、藤の花の下に這っている蔓を見て、自分の状態を連想し、それを序詞として、もどかしさを嘆いた歌」と言っています。

 
1902の「かくなるまでに」は、このようになるまでも。「かく」は、眼前の花が満開になっている状態のこと。霞の中に花が咲いているという描写は、明確に見えないまま時間だけが過ぎていく状況を暗示し、恋人に逢えぬまま春が深まっていく焦燥を婉曲に表しています。結句の「逢はぬ君かも」は、疑問の形をとりながら、実質的には詠嘆であり、「かも」によって、相手を責める調子は抑えられ、逢えぬ現実を受け止めきれない切なさが、余情として読者に委ねられています。

 
1903の「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。馬酔木の花はスズラン状の小さなつぼみをつけて咲く花で、この花が集まって咲くと、その周りは真っ白になります。有毒植物であり、馬が誤って食べると苦しがって、酔っぱらったような動きをするというので「馬酔木」と書きます。人里離れた奥山にひっそりと咲く花として提示され、人目につきにくい場所に咲いていることと白く密集して咲く様態が、内に秘めながらも満ちあふれる恋情を象徴しています。結句の「今盛りなり」は、恋が過去や未来ではなく、まさに現在進行形で最高潮にあることを強調する表現ですが、花の盛りはやがて過ぎ去ることを暗示するため、ここには高揚と同時に、はかなさへの予感も含意されます。
 


和歌の修辞技法

  • 枕詞(まくらことば)
    序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
  • 序詞(じょことば)
    作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。特定の言葉や決まりはない。
  • 掛詞(かけことば)
    縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
  • 縁語(えんご)
    1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
  • 体言止め
    歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。万葉時代にはあまり見られず、新古今時代に多く用いられた。
  • 倒置法
    主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
  • 句切れ
    何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
  • 歌枕
    歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。

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