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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-1915~1918

訓読

1915
我が背子(せこ)に恋ひてすべなみ春雨(はるさめ)の降るわき知らず出でて来(こ)しかも
1916
今さらに君はい行かじ春雨(はるさめ)の心を人の知らざらなくに
1917
春雨に衣(ころも)は甚(いた)く通らめや七日(なぬか)し零(ふ)らば七夜(ななよ)来(こ)じとや
1918
梅の花散らす春雨(はるさめ)いたく降る旅にや君が廬(いほ)りせるらむ

意味

〈1915〉
 あなたに恋い焦がれるやるせなさに、春雨が降っているかいないかの見境もなしに、家を出てきてしまった。
〈1916〉
 今さらお帰りになったりしないでしょうね。誰でも春雨の心を知らないはずはありませんから。
〈1917〉
 あなたは春雨が降ったので来られなかったとおっしゃるけれど、衣が濡れ通るというほどではないでしょう。それなら、もし雨が七日間降り続いたら、七晩ともおいでにならないとおっしゃるのですか。
〈1918〉
 梅花を散らす春雨が強く降る中、旅先のあなたは、今ごろ仮小屋に一人さびしく泊まっておいでになるだろうか。

鑑賞

 「雨に寄せる」作者未詳歌4首で、いずれも女の歌。1915の「恋ひてすべなみ」は、恋しくてどうしようもなく、やるせなさに。「すべなみ」は「すべなし」のミ語法。「降るわき知らず」は、降っているかいないかの区別も知らず。恋情に突き動かされて理性や現実感覚を失う状態を、春雨という身近な自然現象と結びつけて表現した一首です。結句の「出でて来しかも」の「かも」による詠嘆には、自身の行動を半ば驚き、半ば省みる視線を含み、恋に突き動かされた自己への自覚が感じられます。

 
1916の「い行かじ」の「い」は接頭語、「行かじ」は、帰るまい。強い打消意志を表す語であり、表面的には断言的ですが、恋歌として読むと、これは相手の確かな意思というよりも、そうであってほしいという願望を言い切りの形で表したものと解されます。そのため、断定的な表現がかえって不安の深さを際立たせています。「春雨の心」は、恋人を帰したくない気持ちを、降り出すとなかなか止まない春雨の性質に託した表現。「人の」は、人は誰でも。暗に相手の男をも込めています。「知らざらなくに」は、知らないことはないのに。窪田空穂は、「女の引留めようとする気分と、それを支持するために付ける理屈が、よくこなれて纏っている。才女の少なくなかったことが知られる」と評しています。

 
1917の「通らめや」の「通る」は、濡れ通る。「めや」は、反語。「七日し」の「し」は、強意の副助詞。「来じとや」の「とや」は、相手の意中を反語的に推測する語法。はっきりしない男を激しく責めている女の歌で、あたかも万葉時代のカップルの会話をそのまま聞いているかのように感じられます。斎藤茂吉も、「女が男に迫る語気まで伝わる歌で、如何にもきびきびと、才気もあっておもしろいものである。こういう肉声をさながら聴き得るようなものは、平安朝になるともう無い。和泉式部がどうの、小野小町がどうのと云っても、もう間接な機智の歌になってしまって居る」と言っています。

 
1918の「いたく降る」は、強く降る。原文「多零」で、サハニフルと訓むものもあります。「旅にや」の「や」は、疑問の係助詞。「廬り」は、旅の宿りをするための仮小屋。やや身分のある人が設けるものでした。「らむ」は現在推量の助動詞で、上の「や」の結びで連体形。梅花と春雨という春の象徴的景物を用いながら、旅にある恋人を思いやる静かな不安と優しさを端的に表現しています。
 


万葉人の恋愛模様

 恋の歌が多く収められている『万葉集』ですが、当時の男女の恋愛のあり方はどのようなものだったのでしょうか。数多の歌などから察せられるところでは、万葉期の男女には、おもに3つの出会いの場所があったとされます。

 まず、現代のコンパともいえる「歌垣(うたがき)」。これは、春と秋、山や水辺などの決まった場所に男女が集い、飲食を共にして性を解放した場です。その際、お互いに歌を詠いかけることが求愛のしるしとされましたから、若者にとって、歌を詠むことは、恋愛を成就させるために大事なスキルだったのですね。

 「野遊び」というのも行われました。これはもともと、その年の豊饒を前もって祝うために男女が春の一日を野山で過ごすという行事でしたが、だんだん歌垣のような会合になっていったようです。また、当時の繁華街ともいうべき「市」も男女の出会いの場でした。市では物の流通ばかりでなく、人々の交流も盛んに行われました。多くの人々が集まるため、男女の出会いの格好の場所となったのです。

 カップルが結ばれるまでの過程は、おおよそ3つの段階がありました。まず、男性が好きになった女性に対して「名告(なの)り」を求めます。名前には霊魂が宿っていると考えられていたので、女性が男性の求めに応じて自分の名を教えることは、求婚の承諾を意味しました。

 めでたく相手の名前を教えてもらった男性は、女の家を訪れて一夜を共にします。もっとも、万葉の恋人たちは、2人の関係を他人に知られるのを極端に嫌いましたから、薄暗くなる夕方に男が女のもとを訪れ、夜明け前に帰るというのが当時の逢引のかたちでした。男たちは、月明かりだけをたよりに、女のもとを往復したんですね。これがいわゆる「呼ばい(夜這い)」です。

 もっとも、夜這いの段階では、しばしば母親が娘の監視役となり、訪れてくる男性を妨害しようとしたこともあったようです。本来は親の同意が得られてようやく婚姻が成立するのですが、それでも男性は夜な夜な妻を訪れ、朝方には帰宅しました。この時代は「妻問い婚」という婚姻形態だったのです。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。