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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-1924~1927

訓読

1924
大夫(ますらを)の伏(ふ)し居(ゐ)嘆(なげ)きて作りたるしだり柳のかづらせ我妹(わぎも)
1925
朝戸出(あさとで)の君が姿をよく見ずて長き春日(はるひ)を恋ひや暮らさむ
1926
春山の馬酔木(あしび)の花の悪(あ)しからぬ君にはしゑや寄(よ)そるともよし
1927
石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)びにし我(あ)れやさらさら恋にあひにける

意味

〈1924〉
 男子たる私が、伏しては嘆き座っては嘆きして作った、しだれ柳のかずらです。だからちゃんと髪に巻いて飾ってください。
〈1925〉
 朝早く出て行ったあなたの姿をしっかりと見ないまま送り出して、長い春の日を恋しく思いながら過ごすのでしょうか。
〈1926〉
 春の山に咲く馬酔木の「あし」ではありませんが、悪しき人とも思えないあなたとなら、えいままよ、噂になっても構いはしません。
〈1927〉
 石上の布留の社の神杉のように、神々しく年老いた私が、今また恋に逢ってしまいました。

鑑賞

 作者未詳歌4首。1924は「かづらを贈る」歌。「大夫」は、立派な男子と自尊しての語で、大夫たるもの、恋の苦しみなどに嘆くものではないとの観念に立って用いています。「伏し居嘆きて」は、伏しては嘆き、座っては嘆き。「かづら」は、花や草木の枝を巻きつけて髪飾りにしたもの。「かづらせ」は「かづら」を動詞化させた「かづらす」の命令形。とはいえ支配的ではなく、むしろ願望の表明であり、「我妹」という親密な呼びかけと結びつき、自分の嘆きの結晶を受け取ってほしいという願いが率直に示されているものです。『万葉集』ではさまざまな植物を「かづら」にすることが詠まれていますが、中でも柳のかづらを詠む例が圧倒的に多くなっています。その強い生命力にあやかってのこととみえます。


 
1925は「別れを悲しむ」歌。前夜に訪ねて来た夫を、朝方、戸口から送り出す時の歌とされます。「朝戸出」は、朝、戸口を開けて出て行くこと。「よく見ずて」は、しっかりと見ないまま。夫は、人目につかぬよう、朝の薄暗いうちに帰るのが習いになっていたので、実際、よく見えなかったものとみえます。伊藤博は、「現象は後朝の別れではあっても、この歌の相手である夫は、自宅に帰ってそのまま旅に出るという事情を持っているのかもしれない、とすると、第3句の『よく見ずて』は、長の別れにうちしおれてまともに夫を見ることができなかったという心情を示すのであろう」と述べています。一方、窪田空穂は、「『長き春日を恋ひやくらさむ』は、夜になれば必ず来るものと信じていっている語である。詠み方がおおらかなのでそう思わせる」と言っています。

 1926・1927は、問答歌(問いかけの歌とそれに答える歌によって構成される唱和形式の歌)。1926は女の歌、1927はそれに答えた男の歌。
1926の上2句は、「馬酔木」の同音反復で「悪しからぬ」を導く序詞。「悪しからぬ君」と言いながら、実は性悪な君と、からかいを込めた親愛の表現とも見えます。「しゑや」は、えいままよと捨て鉢な気持ちを表す語。「寄そる」は、言い寄せられる、噂を立てられる意。女が男の求婚に対して承諾の意を詠んだ歌であり、強い称賛を避けた抑制的表現によって恋の相手を静かに肯定し、迎え入れる心情を簡潔に詠み上げているものとされます。

 
1927の「石上布留」は、奈良県天理市石上神宮周辺の地。石上神宮は『日本書紀』にも登場する最古の神社の一つで、今も神木の杉が境内にそびえています。上2句は「神杉」の同音で「神びにし」を導く序詞。「神ぶ」は、神々しくなる、転じて、老いる。自身を神杉になぞらえた大胆な表現ですが、誇示というより、むしろ人生の後半に差しかかった者の静かな自己省察と読まれます。恋からは距離を置くべき年齢・立場であるという意識が前提にあるかのようです。「さらさら」は、今さら、まさかの意の副詞。男は、もう年老いていて、若いあなたの相手はとても務まりそうもないといいつつも、喜びの気持ちで応じています。といっても、決して本当の老人というわけではなかったでしょう。

 ただし、
窪田空穂は、全く違う趣きで次のように解説しています。「(1926は)女が男の求婚に対して承諾の意を詠んだ歌である。これに対する男の歌が次にあるので、この求婚は仲介者を立てて言い入れたものとみえる。問答としては問にあたる歌なのである。答歌によると男は、年老いた人であり、女も『君』という敬称を用いているので、身分の隔たりのある問と取れる。『悪しからぬ』も、『寄そるともよし』も、内心に喜んでいるのではなく、思い諦めてという条件つきのものであろう。『しゑや』の間投詞は、ことにそれを思わせる」。
 


後朝の別れ

 「後朝(きぬぎぬ)」は、「妻問い婚」が普通だった上代の恋愛における男女の別れの場面を表す言葉で、特に男性が女性の家を訪れて一夜を共にした翌朝、夜が明けて互いの衣を身につけて別れることを指します。この別れの場面を「きぬぎぬの別れ」とも言います。また、男性が帰宅後に女性に送る手紙を「後朝の文」と呼び、その手紙に添えられる和歌を「後朝の歌」と呼ぶこともあります。なるべく早く出すのが、当時のマナーであったようです。

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石上神宮

 日本最古の神社の一つである石上神社の創始は明らかではありませんが、神武天皇が東征のとき賊を平定したという布都御魂(ふつのみたま:霊剣)を御神体として、布留山(標高266m)を背に鎮座しています。大和朝廷の武器庫でもあり、武門の棟梁たる物部氏が管理にあたりました。

 「石上」は、神宮付近から西方一帯にかけてを広く称し、「布留」は神宮周辺の地名です。御神体の「布都」が転じたとも、刀剣を「振る」に由来するともいわれます。万葉人は「布留」の語感に神聖さと親しみを抱いていたらしく、甘美な恋の歌が多くあります。
 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。