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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-1932~1936

訓読

1932
春雨のやまず降る降る我(あ)が恋ふる人の目すらを相(あひ)見せなくに
1933
我妹子(わぎもこ)に恋ひつつ居(を)れば春雨のそれも知るごとやまず降りつつ
1934
相(あひ)思はぬ妹(いも)をやもとな菅(すが)の根の長き春日(はるひ)を思ひ暮らさむ
1935
春さればまづ鳴く鳥の鴬(うぐひす)の言(こと)先立(さきだ)ちし君をし待たむ
1936
相(あひ)思はずあるらむ子ゆゑ玉の緒(を)の長き春日(はるひ)を思ひ暮らさく

意味

〈1932〉
 春雨が絶え間なく降り続いて、私の恋しい人は、お顔すらも見せてくれない。
〈1933〉
 あなたを恋しく思い続けていると、春雨が、そんな私の気持を知っているかのように、絶え間なく降り続けている。
〈1934〉
 私のことを思ってもくれないあなたであるのに、私はいたずらに、菅の根のように長い春の一日を暮らさねばならないのか。
〈1935〉
 春になると真っ先に鳴くウグイスのように、最初に言い寄って下さったあなたをお待ちしようと思います。
〈1936〉
 私のことを少しも思ってくれていないあの子なのに、私の方は玉を通す緒のように長い春の一日を暮らしている。

鑑賞

 春雨を題材にした作者未詳の問答歌(問いかけの歌とそれに答える歌によって構成される唱和形式の歌)2組。1932は女の歌、1933はそれに答えた男の歌。1932の「降る降る」は原文「零々」で、「降り降り」と訓む説もあります。「人の目すらを」の「人」は、相手を婉曲に指したもの、「目すら」は、顔すらも。「見せなくに」の「なく」は、打消しの「ず」の名詞形。「に」は、詠嘆。事実を述べながらも、そこに含まれる不条理や痛切さを暗示する表現であり、直接的に恨みや怒りを表さず、淡々と現状を受け入れざるを得ない諦念がにじんでいます。

 
1933の「それも知るごと」の「それ」は、上2句の内容を指しています。原文「彼毛知如」で、ソモシルゴトクと訓み、また「そも」は「我妹子」を指しているとして「そなたも知っているように絶え間なく降り続けている」のように解釈するものもあります。窪田空穂は、「妻と同じく平和な、問題のない生活気分である。『恋ひつつ』と『降りつつ』と対照させているのみである。答歌であるが、問歌の繰り返しに近い」と述べています。

 1934は男の歌、1935はそれに答えた女の歌。
1934の「相思はぬ」は、互いには思っていない、自分だけが思っていること。「妹をやもとな」の「や」は、詠嘆的疑問。「もとな」は、わけもなく、いたずらに。自問の語、すなわち相手への非難ではなく、己の心のあり方を問い返す表現であり、結句にかかります。「菅の根の」は、地下に長く伸びる菅の根に喩えて「長き」にかかる比喩的枕詞。

 
1935の「春されば」は、春になると。「まづ鳴く鳥」は、真っ先に鳴く鳥。上3句は「言先立ちし」の譬喩、または譬喩式序詞。「言先立ちし」は、先に言い寄った、最初に言葉をかけてくれた、あるいは約束を与えてくれた。「君をし待たむ」の「し」は、強意の副助詞。希望と忍耐とが共存する心境が歌われており、ここまで現実の逢瀬につながっていない点に、この歌の切なさがあります。

 
1936は、1934の類歌であるためにここに載せたものと考えられています。この組み合わせもあるというのでしょうか。「玉の緒の」は、玉を貫いた緒が長い意で「長き」にかかる枕詞。「暮らさく」は「暮らす」のク語法で名詞形。ク語法止めは体言止めと同じく、詠嘆的終止をなしています。
 


ク語法とは

 用言(動詞や形容詞)の語尾に「く(らく)」を付けて、全体を名詞のように扱う表現のこと。主に古典日本語に見られ、「~すること」「~ところ」「~もの」といった意味を表します。「言はく」「語らく」「老ゆらく」「悲しけく」「散らまく」などがその例で、現代語においても「思わく(思惑は当て字)」「体たらく」「老いらく」などの語が残っています。

 ク語法は、中国の漢文を日本語として読む際、名詞節を構成するために重宝されました。荘重で改まった響きを持つため、格調高い歌や祝詞(のりと)などにも多く見られます。名詞化することで、自分の感情を客観的に提示し、それを強調する効果があります。言わば、言葉を「動詞(動くもの)」のままにせず、一瞬止めて「名詞(形あるもの)」として差し出すようなイメージです。

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